2006年 06月 26日
■土手ブログの輪! |
まるで地上の楽園のごとく、そこで過ごすのが至福の時間のように──わたしはこうして毎度、江戸川土手のことを書いている。だから“お国自慢”と受け取る向きもあるかしれないが、当地はわたしの“ふるさと”というわけではない。たまたまの縁で都内から移ってきて30年、人生の半分近くを過ごしたのだから第二の故郷とはいえるだろうが。
けれども「にっぽん、にっぽん、チャチャチャ!」というような愛国心はもとより愛社心、愛県心(?)などの帰属意識・ロイヤルティが希薄な醒めた性分なのだ。平凡な家庭人のくせにスタンスはコスモポリタンや根無し草に近く、レッテルや範ちゅうにとらわれたくないフリーな心を持っている。(どうも、調子がおかしい。始めたものの、なにを書くのかあやしくなった。イングランド-エクアドル、オランダ-ポルトガル戦を楽しみすぎたかな。それにしてもいい試合だったな)
先日、たまたま江戸川風景さんという外部ブログを見つけた。もちろん「江戸川」というタイトルに注目したのだが、記事を通覧したうえで早速リンクさせていただいた。出不精・引きこもりの当ブログらしからざる行動力といえる。その際の注目点や思考のポイントを振り返ってみると、あちらは……。
・下流の松戸付近を主なフィールドとする「散歩好き」
・超デジカメレベルの画像をメインとし、ことに鳥にくわしい
・同世代のおじさんと見受けられる
すなわち、同じ江戸川でも当方の通常の活動領域とは8㎞ほどずれている。こちらはスポーツ目的のウォーキングであちらは散歩。文章中心で辛気くさい「土手」に対して「風景」さんはすっきりと画像のみ。しかも景色や野草より鳥専門(?)で、そのカメラワークがあか抜けている。
ということは、こちらとはおかしなくらい対照的で異質なブログということであり、その相違性が魅力的に思えたのだ。
川は場所によりさまざまな表情・景観を見せる。上流・中流・下流ではもちろん、右岸と左岸でもいちじるしく異なる。たとえば流山橋を境に雰囲気が一変するように、わずか数キロの違いでも同じ川とは思えないほど様相が異なるケースが少なくない。
江戸川は全長60㎞。私はその起点である関宿まで、また東京湾に注ぐ妙典まで歩いたことがあるが、ふだんはその中央流域の左岸を行ったり来たりしているに過ぎない。つまり同じ川をながめても同じ土手を歩いても、見る人の視点や感性によって意外なくらい異なる様相を呈するのだから、「江戸川の景色こそ世界遺産に値する」ようなことを言っても主観的な思い入れであることはハッキリしている。
当ブログ開始以来、同じ川沿いの松戸・市川方面をはじめ、多摩川や隅田川、さらに石狩川や淀川の土手を歩く方からもコメントをいただいた。モノローグに近いブログへのこのような反響に、ブログの威力を再認識したものだ。
そして、ふと思う。わたしはそれらの川の名前を知ってはいても、ほとんどイメージを持たないことを。未知の人々が愛し、歩いているその土手の光景を思い描くことさえできないことを。
この「江戸川土手」は引退後のつれづれに始めたきわめて私的な感懐をとどめるブログゆえ、なによりもまず活動が精力的でない。また人見知りするたちだから、お馴染みさんもごく少数でしかない。いつしか、コメントのやりとりをするお仲間も同世代のおじさんばかりとなったのは自然の成り行きだろう。
だからといって、私は女性や若い人との交流を拒んでいるわけではなく、アクセスがあれば大歓迎なのだ(ここはゴチック)。浮世離れした仙人みたいなことばかり書き、波長の合った同類で同感同感と言い合っているよりも、ブログは異質な感性・異なる見方がぶつかりあってこそおもしろいと思うからね。
全国各地の川にはさまざまな土手がある。そして、日々そこを歩く人々がいて、それぞれがまた異なる土手風景を愛している。以前土手歩きのススメで書いたように、私が江戸川土手の景観を賛美し、他愛もない感懐を書くのは、それぞれがご自分の土手ワールドを豊かなものにしてくださるための呼び水になればと願うからでもある。願わくは、いつか土手ブログの輪! ができることを、と思っている。
けれども「にっぽん、にっぽん、チャチャチャ!」というような愛国心はもとより愛社心、愛県心(?)などの帰属意識・ロイヤルティが希薄な醒めた性分なのだ。平凡な家庭人のくせにスタンスはコスモポリタンや根無し草に近く、レッテルや範ちゅうにとらわれたくないフリーな心を持っている。(どうも、調子がおかしい。始めたものの、なにを書くのかあやしくなった。イングランド-エクアドル、オランダ-ポルトガル戦を楽しみすぎたかな。それにしてもいい試合だったな)
先日、たまたま江戸川風景さんという外部ブログを見つけた。もちろん「江戸川」というタイトルに注目したのだが、記事を通覧したうえで早速リンクさせていただいた。出不精・引きこもりの当ブログらしからざる行動力といえる。その際の注目点や思考のポイントを振り返ってみると、あちらは……。
・下流の松戸付近を主なフィールドとする「散歩好き」
・超デジカメレベルの画像をメインとし、ことに鳥にくわしい
・同世代のおじさんと見受けられる
すなわち、同じ江戸川でも当方の通常の活動領域とは8㎞ほどずれている。こちらはスポーツ目的のウォーキングであちらは散歩。文章中心で辛気くさい「土手」に対して「風景」さんはすっきりと画像のみ。しかも景色や野草より鳥専門(?)で、そのカメラワークがあか抜けている。
ということは、こちらとはおかしなくらい対照的で異質なブログということであり、その相違性が魅力的に思えたのだ。
川は場所によりさまざまな表情・景観を見せる。上流・中流・下流ではもちろん、右岸と左岸でもいちじるしく異なる。たとえば流山橋を境に雰囲気が一変するように、わずか数キロの違いでも同じ川とは思えないほど様相が異なるケースが少なくない。
江戸川は全長60㎞。私はその起点である関宿まで、また東京湾に注ぐ妙典まで歩いたことがあるが、ふだんはその中央流域の左岸を行ったり来たりしているに過ぎない。つまり同じ川をながめても同じ土手を歩いても、見る人の視点や感性によって意外なくらい異なる様相を呈するのだから、「江戸川の景色こそ世界遺産に値する」ようなことを言っても主観的な思い入れであることはハッキリしている。
当ブログ開始以来、同じ川沿いの松戸・市川方面をはじめ、多摩川や隅田川、さらに石狩川や淀川の土手を歩く方からもコメントをいただいた。モノローグに近いブログへのこのような反響に、ブログの威力を再認識したものだ。
そして、ふと思う。わたしはそれらの川の名前を知ってはいても、ほとんどイメージを持たないことを。未知の人々が愛し、歩いているその土手の光景を思い描くことさえできないことを。
この「江戸川土手」は引退後のつれづれに始めたきわめて私的な感懐をとどめるブログゆえ、なによりもまず活動が精力的でない。また人見知りするたちだから、お馴染みさんもごく少数でしかない。いつしか、コメントのやりとりをするお仲間も同世代のおじさんばかりとなったのは自然の成り行きだろう。
だからといって、私は女性や若い人との交流を拒んでいるわけではなく、アクセスがあれば大歓迎なのだ(ここはゴチック)。浮世離れした仙人みたいなことばかり書き、波長の合った同類で同感同感と言い合っているよりも、ブログは異質な感性・異なる見方がぶつかりあってこそおもしろいと思うからね。
全国各地の川にはさまざまな土手がある。そして、日々そこを歩く人々がいて、それぞれがまた異なる土手風景を愛している。以前土手歩きのススメで書いたように、私が江戸川土手の景観を賛美し、他愛もない感懐を書くのは、それぞれがご自分の土手ワールドを豊かなものにしてくださるための呼び水になればと願うからでもある。願わくは、いつか土手ブログの輪! ができることを、と思っている。
by knaito57
| 2006-06-26 14:51
| ■ときどき日記
|
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Comments(2)
Commented
by
saheizi-inokori at 2006-06-27 11:32
早速お邪魔してきました。嬉しいですね。いながらにして江戸川の四季が楽しめる。
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ご紹介有り難うございます。雨天以外は毎朝散歩しています。これからは暫く写閑期になります。
knaito57さんの写真は美しいです。
knaito57さんの写真は美しいです。