2006年 08月 27日
■スーパー堤防 |
今年も梅雨末期の豪雨により九州各地で堤防が決壊するなど大きな被害が出た。ニュースでそういう光景を見ると、ふだんはスポーツや憩いの場である土手が生活基盤に関わる重要な存在であることを再認識する。で、ここに“土手の専門家”として知識の一端(じつはすべて)を開陳してみた。
私の観察によれば、大規模な堤防は水勢とのかねあいからか、上流の山間部や河口に近い下流ではなく人家や田畑が多い中流域に築かれている。河川敷に多いグラウンドやゴルフ場などは川の流れから無防備に見える。これは増水により冠水しても比較的に被害が少なく、いざの場合に堤防を守る遊水池の役割を果たすのだろう。
すべての河川の全流域に巨大で万全の堤防をめぐらしえないことは費用対効果の経済性からも納得できる。問題は堤防の決壊・洪水と修復は長年にわたってくり返されてきたことであり、大規模な堤防ほどひとたび決壊すれば壊滅的な被害になることだ。そして“異常気象”の恒常化。災害のたびに古老たちが「こんなこと生まれて初めてじゃあ」と不安がる。
そう、「100年に一度の大雨」や「一時間200ミリの豪雨」まで想定したはずの堤防が、“記録的な豪雨”“予測外の事態”でいともあっさりと土俵を割ってしまう。その一方で、住宅をはじめさまざまな施設が堤防の近くまで迫っている。堤防の役割はますます大きくなるわけだ。
昭和から平成にかわったころだったと記憶するが、関宿まで遠征したとき“スーパー堤防”という耳慣れない言葉を知った。「海から40㎞」付近の土手に国土交通省(当時は建設省?)が掲げた掲示板で、それによると──。
スーパー堤防とは正式名称を“高規格堤防”といい、「ゆるやかな勾配を持つ、幅の広い、土でつくった堤防」のこと。この説明だけではわかりにくいが、スケールが“スーパー”なのだ。土手の市街地側に広く土盛りして、堤防の幅をその高さの約30倍程度とする(ということは400メートル前後!)。それにより一帯はゆるい傾斜を持つ台地となり、従来の田畑が住宅地として利用可能になる。
断面図で考えればよくわかる。一般の堤防が富士山型なのに対して、この堤防は左を川とすると「へ」もしくは「√」を右側に大きく伸ばした形に近い。すなわち周囲の軟弱地盤を強化するから地震に強く、幅が広いため洪水が長い間つづいても浸透水による破損がなく、越水しても水は斜面をゆるやかに流れ去るので破堤しない。水を防ぐ土手の代わりに高台の住宅地を造成してその全体で洪水に対抗するという、恐れ入った発想の転換だ。現にこの付近では工事が進んで、土手の外側はそのまま住宅地となっていた。
関宿地区ではさらに大規模なモデルを見ることができる。それは関宿城博物館・公園と合わせた一体整備としてスーパー堤防化したケースだ。すなわち周辺の高規格堤防特別区域は、じつに幅100m ・ 長さ600m。ここでは緩勾配の上にさらに盛り土をして全体が高台となっている。
それでもここからはずれた区域には、往事をしのばせるような住宅を見かける。たとえば1メートル以上もある石組みまじりの土盛りの上に建つ豪邸。それはかつてこの辺りで屋敷内の高く土盛りした場所に建てた“水塚”、生活用品や非常食などを保管し洪水のときの避難所ともした小屋ををまるごと住宅にした発想なのだろう。
また、昔から頻繁に洪水災害に見舞われてきたこの地区では、家の軒下に小舟をくくりつけておく習慣があった。わが町・流山でも古い記録写真などに同じ光景を見ることができるが、ともに現在では見かけることもなくなった。今日、川の近くに住みながらそれをいささかも心配事の対象と感じないのは、強大な土手やスーパー堤防に守護されている安心感ゆえだろう。だが──本当に安全だろうか。世界中から届く地球規模の気象異変から、この江戸川だけが例外でいられるだろうか──自分はともかく、次の世代のことを考えると一抹の不安も残る。
先日、NHKテレビでは利根川沿いの栗橋地域におけるスーパー堤防計画についてルポしていた。行政と計画地域の人々とのくいちがい。つまり安全は欲しいが、歴史ある町を新たな造成地の下に埋もれさせてしまうことへの抵抗感、とまどいを持つ住民に対して「√」の右線を少し短くする提案が出されて協議中というような話だった。
などと考えると、日ごろはウォーキングと自然観察に格好のコースとしか見ていない土手=堤防が生活と歴史に密着した存在であることに思いを新たにする。
注=この記事は学術的根拠を欠き、必ずしも正確ではない危惧もあるので、“よい子のみなさん”は鵜呑みにしないでね。
私の観察によれば、大規模な堤防は水勢とのかねあいからか、上流の山間部や河口に近い下流ではなく人家や田畑が多い中流域に築かれている。河川敷に多いグラウンドやゴルフ場などは川の流れから無防備に見える。これは増水により冠水しても比較的に被害が少なく、いざの場合に堤防を守る遊水池の役割を果たすのだろう。
すべての河川の全流域に巨大で万全の堤防をめぐらしえないことは費用対効果の経済性からも納得できる。問題は堤防の決壊・洪水と修復は長年にわたってくり返されてきたことであり、大規模な堤防ほどひとたび決壊すれば壊滅的な被害になることだ。そして“異常気象”の恒常化。災害のたびに古老たちが「こんなこと生まれて初めてじゃあ」と不安がる。
そう、「100年に一度の大雨」や「一時間200ミリの豪雨」まで想定したはずの堤防が、“記録的な豪雨”“予測外の事態”でいともあっさりと土俵を割ってしまう。その一方で、住宅をはじめさまざまな施設が堤防の近くまで迫っている。堤防の役割はますます大きくなるわけだ。
昭和から平成にかわったころだったと記憶するが、関宿まで遠征したとき“スーパー堤防”という耳慣れない言葉を知った。「海から40㎞」付近の土手に国土交通省(当時は建設省?)が掲げた掲示板で、それによると──。
スーパー堤防とは正式名称を“高規格堤防”といい、「ゆるやかな勾配を持つ、幅の広い、土でつくった堤防」のこと。この説明だけではわかりにくいが、スケールが“スーパー”なのだ。土手の市街地側に広く土盛りして、堤防の幅をその高さの約30倍程度とする(ということは400メートル前後!)。それにより一帯はゆるい傾斜を持つ台地となり、従来の田畑が住宅地として利用可能になる。
断面図で考えればよくわかる。一般の堤防が富士山型なのに対して、この堤防は左を川とすると「へ」もしくは「√」を右側に大きく伸ばした形に近い。すなわち周囲の軟弱地盤を強化するから地震に強く、幅が広いため洪水が長い間つづいても浸透水による破損がなく、越水しても水は斜面をゆるやかに流れ去るので破堤しない。水を防ぐ土手の代わりに高台の住宅地を造成してその全体で洪水に対抗するという、恐れ入った発想の転換だ。現にこの付近では工事が進んで、土手の外側はそのまま住宅地となっていた。
関宿地区ではさらに大規模なモデルを見ることができる。それは関宿城博物館・公園と合わせた一体整備としてスーパー堤防化したケースだ。すなわち周辺の高規格堤防特別区域は、じつに幅100m ・ 長さ600m。ここでは緩勾配の上にさらに盛り土をして全体が高台となっている。
それでもここからはずれた区域には、往事をしのばせるような住宅を見かける。たとえば1メートル以上もある石組みまじりの土盛りの上に建つ豪邸。それはかつてこの辺りで屋敷内の高く土盛りした場所に建てた“水塚”、生活用品や非常食などを保管し洪水のときの避難所ともした小屋ををまるごと住宅にした発想なのだろう。
また、昔から頻繁に洪水災害に見舞われてきたこの地区では、家の軒下に小舟をくくりつけておく習慣があった。わが町・流山でも古い記録写真などに同じ光景を見ることができるが、ともに現在では見かけることもなくなった。今日、川の近くに住みながらそれをいささかも心配事の対象と感じないのは、強大な土手やスーパー堤防に守護されている安心感ゆえだろう。だが──本当に安全だろうか。世界中から届く地球規模の気象異変から、この江戸川だけが例外でいられるだろうか──自分はともかく、次の世代のことを考えると一抹の不安も残る。
先日、NHKテレビでは利根川沿いの栗橋地域におけるスーパー堤防計画についてルポしていた。行政と計画地域の人々とのくいちがい。つまり安全は欲しいが、歴史ある町を新たな造成地の下に埋もれさせてしまうことへの抵抗感、とまどいを持つ住民に対して「√」の右線を少し短くする提案が出されて協議中というような話だった。
などと考えると、日ごろはウォーキングと自然観察に格好のコースとしか見ていない土手=堤防が生活と歴史に密着した存在であることに思いを新たにする。
注=この記事は学術的根拠を欠き、必ずしも正確ではない危惧もあるので、“よい子のみなさん”は鵜呑みにしないでね。
by knaito57
| 2006-08-27 14:21
| ■ときどき日記
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Comments(4)
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from 雑学・豆知識(トリビア)..
at 2006-08-30 09:57
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saheizi-inokori at 2006-08-27 15:38
堤防が人々の安全を守る、というのは一般論としては教えられてきたことですが、具体的に今の工法が正しいのかはシロートの私には分かりません。なんとなく技術屋たちもインチキ、とくに役人とゼネコンがからむと眉唾ものが多いということがかつての”教え”に対して不信の念を抱かせつつあります。
どこがどうというわけではないですが。
かつて河川工学の第一人者と言われる男にこの点を酒飲み話で突っ込んだところ、案に相違してマジメニ、必要以上にと考えられるほどのマジメさで反論・折伏されたので尚更であります。
どこがどうというわけではないですが。
かつて河川工学の第一人者と言われる男にこの点を酒飲み話で突っ込んだところ、案に相違してマジメニ、必要以上にと考えられるほどのマジメさで反論・折伏されたので尚更であります。
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散歩好き
at 2006-08-27 16:16
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一昨昨年埼玉側の堤防が上葛飾橋~葛飾橋でコンクリートのブロックを蜜にはめ込む補強をしていました。強度を考え工事をしているのでしょう。小生の住まいの近くの堤防は子供の頃の1.5倍位の高さになり、すると幅も広がるので何軒も引っ越しました。流山もそのとき同じ高さでスーパー堤防になったのでしょう。
明治中ごろまでの地図には江戸川土手の下は材木屋と表示が多くあります。これは建材屋だけでなく燃料用の薪屋や鋤や鎌の柄屋や車輪の材料屋夫々別々に商っていたらしいです。隅田川や荒川も昭和35年頃まで筏が流れていました。
明治中ごろまでの地図には江戸川土手の下は材木屋と表示が多くあります。これは建材屋だけでなく燃料用の薪屋や鋤や鎌の柄屋や車輪の材料屋夫々別々に商っていたらしいです。隅田川や荒川も昭和35年頃まで筏が流れていました。
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knaito57 at 2006-08-28 07:42
うーん……。わが土手は人間による構築物よりも自然の地形と錯覚するほどの頼もしい存在感があるのですが、ときにフト不安に駆られます。強度疑惑やら談合やらの不正が際限なくつづく当節、こちらまで「歪んだ大人」になりそうです。
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knaito57 at 2006-08-28 07:43
散歩好きさま。“江戸川のすたるじあ”にある「江戸時代の地図のあちこちに池が描かれている。当時は堤防もなく、大水になると低地に水がたまり、深いところは池として残ったのだろう」という考察はそのとおりで、当地でも同様のケースが見られます。“松戸町絵図”も子細に見ると楽しいですね。図書館で流山や運河周辺の古い絵図を見ると、想像力がふくらみます。