2006年 09月 24日
■日本の秋 |
まだ9月なのに、土手の景色は早くも秋めいて見える。繁茂していた夏草の緑が色あせて茫々たる荒れ野のよそおい。倒れかかったエノコログサ、キンエノコロ、メヒシバ、オヒシバが無数の種子をふりまく合間から、カヤ、ススキ、アシが背丈を越えて伸びている。そんな土手を、くしゃみ・鼻水・目のかゆみに往生しながら歩く。
風がざわざわと吹き抜けると、草の土手に波が走っていく。そこかしこに赤とんぼが浮かんでいる。川岸では、いくぶん葉を減らしたヤマナラシの梢があおられている。下の畑では収穫間近い里芋が大きな葉裏を見せている。黄ばみ始めた雑木林にムクドリの大群が吸い込まれていく。
♪♪夕空はれて秋風ふき 月かげ落ちて鈴虫なく(『故郷の空』)
おおかたの田んぼではすでに稲の刈り取りがすんでいる。去年は刈り取り時期の大雨で実った稲穂が水に浸かっている無惨な光景が目だったものだが、ことしは強い雨風に見舞われることなく実りの秋を迎えた安堵感がある。収穫作業を無事に終えた穏やかな充足感が一帯に漂っている。積み残された稲塚や納屋からはみ出しそうな新藁。当地は早稲種なので、お店では早くも“地元の新米”の案内がでているそうだ。
♪♪庭の千草も虫の音も 枯れて淋しくなりにけり(『庭の千草』)
お目当ての曼珠沙華が、今年も同じ場所に咲いていた。まるで、カレンダーを見ながら咲くタイミングを計っていたようにジャストお彼岸。彼岸花とはよくぞつけたりと、感心する。人影のない土手に点々と、あるいは大きな群をなして咲く異形の赤い花は「あやしい美しさ」がある。こちらは年中行事のようにして愛でているが、近くにある童子の供養碑にも数本供えられていたから、自然発生ではなくもともとは土手下のどこかの家で植え付けたのだろう。
それらしい家の垣根越しにキンモクセイが匂っている。これもまた決して季節を間違えることがない。キンモクセイといい彼岸花といい、植物の中に組み込まれた季節感知機能というのはすごいものだと思う。ヒトも本来はそうあるべき生き物なのだがなあ、などという思いがかすめる。
♪♪しずかなしずかな里の秋 お背戸に木の実の落ちる夜は(『里の秋』)
そうしてながめれば、土手下の畑には冬瓜がごろごろ転がっている。あちこちで柿の実が色づき始めている。家々の庭では栗もはじけているだろう。わきの籔にからんでいるカラスウリはまだ青い。
夕日がまだ高いのに、草陰からは虫のすだく声がわきおこっている。これから誰もいなくなった土手ワールドで、虫たちは刻々と主役交代しながら長い夜を鳴きとおすのだ。
♪♪あれ松虫が鳴いている ちんちろちんちろちんちろりん(虫のこえ)
豊かな自然に囲まれた土手を歩いていると、季節の変化が目に見え耳に聞こえる。土手の四季はどれもいいが、わたしはこの季節の静かで充足した風景がいちばん好きだ。
きょう目に映った光景をこうして文章にしようとすると、耳元に懐かしい歌がいろいろ聞こえてくる──で、つづきを一節でも口ずさんでいただければ、わたしのつたない観察と表現を補って“日本の秋景色”を思い浮かべてもらえるのではと期待しつつ、随所にそれらの歌い出しを挿入してみた。
風がざわざわと吹き抜けると、草の土手に波が走っていく。そこかしこに赤とんぼが浮かんでいる。川岸では、いくぶん葉を減らしたヤマナラシの梢があおられている。下の畑では収穫間近い里芋が大きな葉裏を見せている。黄ばみ始めた雑木林にムクドリの大群が吸い込まれていく。
♪♪夕空はれて秋風ふき 月かげ落ちて鈴虫なく(『故郷の空』)
おおかたの田んぼではすでに稲の刈り取りがすんでいる。去年は刈り取り時期の大雨で実った稲穂が水に浸かっている無惨な光景が目だったものだが、ことしは強い雨風に見舞われることなく実りの秋を迎えた安堵感がある。収穫作業を無事に終えた穏やかな充足感が一帯に漂っている。積み残された稲塚や納屋からはみ出しそうな新藁。当地は早稲種なので、お店では早くも“地元の新米”の案内がでているそうだ。
♪♪庭の千草も虫の音も 枯れて淋しくなりにけり(『庭の千草』)
お目当ての曼珠沙華が、今年も同じ場所に咲いていた。まるで、カレンダーを見ながら咲くタイミングを計っていたようにジャストお彼岸。彼岸花とはよくぞつけたりと、感心する。人影のない土手に点々と、あるいは大きな群をなして咲く異形の赤い花は「あやしい美しさ」がある。こちらは年中行事のようにして愛でているが、近くにある童子の供養碑にも数本供えられていたから、自然発生ではなくもともとは土手下のどこかの家で植え付けたのだろう。
それらしい家の垣根越しにキンモクセイが匂っている。これもまた決して季節を間違えることがない。キンモクセイといい彼岸花といい、植物の中に組み込まれた季節感知機能というのはすごいものだと思う。ヒトも本来はそうあるべき生き物なのだがなあ、などという思いがかすめる。
♪♪しずかなしずかな里の秋 お背戸に木の実の落ちる夜は(『里の秋』)
そうしてながめれば、土手下の畑には冬瓜がごろごろ転がっている。あちこちで柿の実が色づき始めている。家々の庭では栗もはじけているだろう。わきの籔にからんでいるカラスウリはまだ青い。
夕日がまだ高いのに、草陰からは虫のすだく声がわきおこっている。これから誰もいなくなった土手ワールドで、虫たちは刻々と主役交代しながら長い夜を鳴きとおすのだ。
♪♪あれ松虫が鳴いている ちんちろちんちろちんちろりん(虫のこえ)
豊かな自然に囲まれた土手を歩いていると、季節の変化が目に見え耳に聞こえる。土手の四季はどれもいいが、わたしはこの季節の静かで充足した風景がいちばん好きだ。
きょう目に映った光景をこうして文章にしようとすると、耳元に懐かしい歌がいろいろ聞こえてくる──で、つづきを一節でも口ずさんでいただければ、わたしのつたない観察と表現を補って“日本の秋景色”を思い浮かべてもらえるのではと期待しつつ、随所にそれらの歌い出しを挿入してみた。
by knaito57
| 2006-09-24 12:08
| ■ときどき日記
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from 日々夢途中
at 2006-09-24 16:44
タイトル : 今日の虫の音は「ツヅレサセ」?
今日のお昼には蝉が最後の声を振り絞って、 夜の宵になって、先ほどから威勢よくなく秋の虫は「ツヅレサセ」? この虫は「綴刺せ」と書くそうで、鳴き方は単調ですが、耳を傾けていると妙に落ち着く声とのことです。 http://www.bekkoame.ne.jp/~sibutaka/nature/html/insects/tsuzuresasekoorogi_s_j.html 虫の名前にも日本人の愛する文化がかんじられますね? 先ほどから満月が流れる雲からポツリポツリと顔出してます 本...... more
今日のお昼には蝉が最後の声を振り絞って、 夜の宵になって、先ほどから威勢よくなく秋の虫は「ツヅレサセ」? この虫は「綴刺せ」と書くそうで、鳴き方は単調ですが、耳を傾けていると妙に落ち着く声とのことです。 http://www.bekkoame.ne.jp/~sibutaka/nature/html/insects/tsuzuresasekoorogi_s_j.html 虫の名前にも日本人の愛する文化がかんじられますね? 先ほどから満月が流れる雲からポツリポツリと顔出してます 本...... more
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from 梟通信~ホンの戯言
at 2006-09-25 12:09
タイトル : 彼岸といえばオハギだよ おばあちゃんのオハギ食べたいなあ
昨日今日、ブログを訪ねると彼岸花、金木犀、古里、里山、稔りの田、、 などの写真や記事が多い。 お彼岸とは日本独特の行事だということをgakisさんのブログ・楽餓鬼で教わった。 小さい頃はお彼岸というとオハギというイメージだった。もち米をふかしてあんこを作ってゴマもすった。バットに一体いくつ出来たか、あれよあれよというまに食べてしまったなあ。 バレンタインのチョコレートはチョコレート業界の仕掛けだけれど、オハギはどうなんだろう。まさか小豆業界とか製糖業界の陰謀じゃないよね。 家中で一緒...... more
昨日今日、ブログを訪ねると彼岸花、金木犀、古里、里山、稔りの田、、 などの写真や記事が多い。 お彼岸とは日本独特の行事だということをgakisさんのブログ・楽餓鬼で教わった。 小さい頃はお彼岸というとオハギというイメージだった。もち米をふかしてあんこを作ってゴマもすった。バットに一体いくつ出来たか、あれよあれよというまに食べてしまったなあ。 バレンタインのチョコレートはチョコレート業界の仕掛けだけれど、オハギはどうなんだろう。まさか小豆業界とか製糖業界の陰謀じゃないよね。 家中で一緒...... more
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from 梟通信~ホンの戯言
at 2006-09-29 11:21
タイトル : 無残にひろがる郊外の風景が生み出す思想は? 姜尚中&..
昨日の毎日夕刊で中島岳志(「中村屋のボース」の著者)と姜尚中が対談をしている。 月一回の「中島岳志的 アジア対談」、今回は「郷土愛とナショナリズム」と題して面白い。 二人が共通していうのは「愛郷心と愛国心を簡単につなぐことが、いかにイデオロギー的か」ということ。 たしかに「日本」という概念自体、7世紀(飛鳥浄御原令・689年が多数説)からであって、それですら列島全体を覆う国家ではなかった。列島西部、ヤマトを中心とする北部九州、四国、本州西部を基盤とし、異質な文化圏である中部、関東、東北...... more
昨日の毎日夕刊で中島岳志(「中村屋のボース」の著者)と姜尚中が対談をしている。 月一回の「中島岳志的 アジア対談」、今回は「郷土愛とナショナリズム」と題して面白い。 二人が共通していうのは「愛郷心と愛国心を簡単につなぐことが、いかにイデオロギー的か」ということ。 たしかに「日本」という概念自体、7世紀(飛鳥浄御原令・689年が多数説)からであって、それですら列島全体を覆う国家ではなかった。列島西部、ヤマトを中心とする北部九州、四国、本州西部を基盤とし、異質な文化圏である中部、関東、東北...... more
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散歩好き
at 2006-09-25 06:04
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8月8日頃立秋があり其処から秋を感じるとしています。体が成長(外にエネルギーを発散する)から内部充実に変わって来ます。植物が実を結ぶような反応を人体もします。その頃から土手は虫の音がうるさい位になって来ていました。物を想うようになりました。
彼岸花を覆いつくしているのがアレチウリで特定外来植物で土手の管理者は必要に応じ刈り取らなければ成らないと言いますが必要に応じが問題です。川原は国交省の管轄で広範囲なので対応してくれるのは無理なようです。
彼岸花を覆いつくしているのがアレチウリで特定外来植物で土手の管理者は必要に応じ刈り取らなければ成らないと言いますが必要に応じが問題です。川原は国交省の管轄で広範囲なので対応してくれるのは無理なようです。
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antsuan at 2006-09-25 06:54
最近、散歩やジョギングする人の多くがiPodなどのイヤーホーンをしています。わざわざ屋外に出てフィットネスクラブにいるのと同じではもったいない事です。
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knaito57 at 2006-09-25 10:48
「成長から内部充実」は真理ですね。筋力強化よりもヒトとしての収穫期を心がけるべきであったかと耳に痛いです。いろいろ有益な情報をありがとうございました。
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knaito57 at 2006-09-25 10:49
同感。私はクラブでは“ながらトレーニング族”をケーベツする嫌味おやじですが、音楽好きだし土手ではおおらか人間なので(こういう空間で聴いたらさぞいい気分だろな)とも思います。ただ歩くときはなるべく筋肉活動に専念したいし、見たり・聞いたり・感じたり・考えたり……五感を動員しているのでイヤホンの世界にこもるのが「もったいない」わけです。
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saheizi-inokori at 2006-09-25 12:08
昨日硫黄島のことを書いている文章の中で16歳の少年兵たちが軍歌を歌った後いつも「夕空晴れて~」を歌っていたというくだりを読んだばかりでした。
栗林中将の遺された娘さんが父親の手紙とかの話題には笑顔で受け答えをしていたのに、その子供たちの話では涙したそうです。
日本の美しい四季をそのままに美しいと感じておれたらどんなにいいかと思います。
栗林中将の遺された娘さんが父親の手紙とかの話題には笑顔で受け答えをしていたのに、その子供たちの話では涙したそうです。
日本の美しい四季をそのままに美しいと感じておれたらどんなにいいかと思います。