2006年 10月 16日
■居場所考 |
♪♪幸せだなあ ぼか君と居るときがいちばん幸せなんだ──という歌があった。
この「君と」を「土手に」と替えて「ヒトはどこに居るときいちばん幸せか」を考えてみた。(問題は場所で、けっして「誰と居るとき」ではない。また私が自宅に居場所がないと訴えたいわけでもない。念のため)
いうまでもなく、幸せの条件とかそう感じる状況は人により場合によりさまざまだ。ここでは「充足感・安らぎ・快適・楽しさ・再生」をキイワードとして話を進める。
いちばんの居場所はもちろん“わが家”であり“茶の間”だろう。そうあるべき、そうあってほしい。自室もしくは“父さんの椅子”“母さんの席”など確保されたスペースでもいい。これがない家庭人はきびしい。帰宅しても何となく居どころのない父親、一息ついた時間にくつろぐ場所がない母親。それはおじいちゃん・おばあちゃんでも子どもたちでも同様だし、嫁いできて間もない若妻ならなおのこと。誰にとっても居場所があること、それが家庭の第一条件だ。
若者のクルマ好きの一要因は、どこよりも自分であることを実感できる隠れ家や城だからであろう。だが、それが一時の逃げ場であればいかにも生産的でない。まだしも、ひと昔以前の銭湯や床屋のほうが心身ともにリフレッシュ効果がある。
会社で居場所がないというのもきびしい。事情はさまざまにせよ、長い時間をすごす職場でそう感じることは、他人にはわからないほど辛い。思いあまった末にトイレや喫茶店、公園などに逃避する姿には切ないものがある。
飲み屋がいちばんというヒトも少なくない。アルコール効果だけでなく、そこでは金を使ってくれる客なのだからそれなりに居心地よく遇せられるのは当然だ。けれども、飲めない男はどうしたらいい? 仕事以外の仲間とすごせるグループに入るとか、スポーツクラブなどで発散するか。窮すれば通ずで、最後に見つけるのが通勤電車の中と駅から家路までの夜道で、そこでかろうじて自分を取り戻す──ということを以前自分の時間に書いた。
今日では、思わず深呼吸するような景色や、気分が広がる大きな眺めは得難いものとなった。それだけに、ちょっと行けば海か山、あるいは川か湖、それがダメなら森や田んぼなどの自然に近く暮らしたいと望む人は多い。しかし一方で、高層ビルやショッピング・アミューズメントに囲まれた生活環境を選ぶ都心回帰現象もある。私は前者。根っからの自然志向であり、その欲求の多くを満たしてくれるのが土手なのだ。
うろこ雲の秋空、飛び交う赤とんぼ、川面を渡ってくる風、収穫を終えた田んぼ……単調な自分の足音を聞きながら土手のコースを歩くと、心身に明らかな変化が生じているのを実感する。それは言うなれば、この小さな世界の主人公であるような開放感と充足感。筋肉の動きにつれて落ち込んだ精神がいやされ、自信を取り戻し、元気がよみがえる。だから私は、土手にいるときはハッピーであり別人のように好人物になっている。“土手男”を自称するゆえんである。
しかし──“土手男”というのは、われながらパッとしない。“土手の男”“土手おやじ”もよくない。えい、どうせ見えないんだから“土手の若大将”でどうか……ダメか。問題は土手だな。ひらがなで“どて”としても同じこと。かたかなで……よし、いっそのこと英語で“バンクガイ”としたら……これでは何だかわからないし、角膜移植センターみたいだなあ。そうだ、フランス語で……と思ったけれど、土手は何ていうのか知らない。
いや──問題はドテという響きよりも土手そのものに対する世間の誤った認識と無知にあるのかも……“山男”や“海の男”と比べて優るとも劣らないはずではないか。いずれにせよ、こんなにすばらしい土手を闊歩している“土手の男”に不当で芳しくないイメージがまつわりつく現状は正す必要がある。
話はとぶが、先日から自動車の「ご当地ナンバー制度」が始まった。報道によると全国17の新ナンバー中、“柏”への変更予約が最多だという。変更予約をした30代の女性は「現在の野田ナンバーよりもおしゃれ。友だちにも変えようよと誘っている」(朝日新聞)とか。何たる錯誤! 野田も柏もわが隣町だからよく知っているが、新興地の柏よりも江戸川沿いの野田のほうがはるかに歴史があり自然風物が豊かではないか。
と、八つ当たりしてみても“土手”イメージの改善にはならないか。今日のところは「自分の住む町を愛し、身近にお気に入りの場所を持つ者は幸せ」ということで刀を収めておこう。
この「君と」を「土手に」と替えて「ヒトはどこに居るときいちばん幸せか」を考えてみた。(問題は場所で、けっして「誰と居るとき」ではない。また私が自宅に居場所がないと訴えたいわけでもない。念のため)
いうまでもなく、幸せの条件とかそう感じる状況は人により場合によりさまざまだ。ここでは「充足感・安らぎ・快適・楽しさ・再生」をキイワードとして話を進める。
いちばんの居場所はもちろん“わが家”であり“茶の間”だろう。そうあるべき、そうあってほしい。自室もしくは“父さんの椅子”“母さんの席”など確保されたスペースでもいい。これがない家庭人はきびしい。帰宅しても何となく居どころのない父親、一息ついた時間にくつろぐ場所がない母親。それはおじいちゃん・おばあちゃんでも子どもたちでも同様だし、嫁いできて間もない若妻ならなおのこと。誰にとっても居場所があること、それが家庭の第一条件だ。
若者のクルマ好きの一要因は、どこよりも自分であることを実感できる隠れ家や城だからであろう。だが、それが一時の逃げ場であればいかにも生産的でない。まだしも、ひと昔以前の銭湯や床屋のほうが心身ともにリフレッシュ効果がある。
会社で居場所がないというのもきびしい。事情はさまざまにせよ、長い時間をすごす職場でそう感じることは、他人にはわからないほど辛い。思いあまった末にトイレや喫茶店、公園などに逃避する姿には切ないものがある。
飲み屋がいちばんというヒトも少なくない。アルコール効果だけでなく、そこでは金を使ってくれる客なのだからそれなりに居心地よく遇せられるのは当然だ。けれども、飲めない男はどうしたらいい? 仕事以外の仲間とすごせるグループに入るとか、スポーツクラブなどで発散するか。窮すれば通ずで、最後に見つけるのが通勤電車の中と駅から家路までの夜道で、そこでかろうじて自分を取り戻す──ということを以前自分の時間に書いた。
今日では、思わず深呼吸するような景色や、気分が広がる大きな眺めは得難いものとなった。それだけに、ちょっと行けば海か山、あるいは川か湖、それがダメなら森や田んぼなどの自然に近く暮らしたいと望む人は多い。しかし一方で、高層ビルやショッピング・アミューズメントに囲まれた生活環境を選ぶ都心回帰現象もある。私は前者。根っからの自然志向であり、その欲求の多くを満たしてくれるのが土手なのだ。
うろこ雲の秋空、飛び交う赤とんぼ、川面を渡ってくる風、収穫を終えた田んぼ……単調な自分の足音を聞きながら土手のコースを歩くと、心身に明らかな変化が生じているのを実感する。それは言うなれば、この小さな世界の主人公であるような開放感と充足感。筋肉の動きにつれて落ち込んだ精神がいやされ、自信を取り戻し、元気がよみがえる。だから私は、土手にいるときはハッピーであり別人のように好人物になっている。“土手男”を自称するゆえんである。
しかし──“土手男”というのは、われながらパッとしない。“土手の男”“土手おやじ”もよくない。えい、どうせ見えないんだから“土手の若大将”でどうか……ダメか。問題は土手だな。ひらがなで“どて”としても同じこと。かたかなで……よし、いっそのこと英語で“バンクガイ”としたら……これでは何だかわからないし、角膜移植センターみたいだなあ。そうだ、フランス語で……と思ったけれど、土手は何ていうのか知らない。
いや──問題はドテという響きよりも土手そのものに対する世間の誤った認識と無知にあるのかも……“山男”や“海の男”と比べて優るとも劣らないはずではないか。いずれにせよ、こんなにすばらしい土手を闊歩している“土手の男”に不当で芳しくないイメージがまつわりつく現状は正す必要がある。
話はとぶが、先日から自動車の「ご当地ナンバー制度」が始まった。報道によると全国17の新ナンバー中、“柏”への変更予約が最多だという。変更予約をした30代の女性は「現在の野田ナンバーよりもおしゃれ。友だちにも変えようよと誘っている」(朝日新聞)とか。何たる錯誤! 野田も柏もわが隣町だからよく知っているが、新興地の柏よりも江戸川沿いの野田のほうがはるかに歴史があり自然風物が豊かではないか。
と、八つ当たりしてみても“土手”イメージの改善にはならないか。今日のところは「自分の住む町を愛し、身近にお気に入りの場所を持つ者は幸せ」ということで刀を収めておこう。
by knaito57
| 2006-10-16 09:39
| ■ときどき日記
|
Trackback
|
Comments(4)
Commented
by
saheizi-inokori at 2006-10-16 11:18
>会社で居場所がないというのもきびしい
忙しくやっているうちはそういう人を見ると羨ましくてもいざ自分がそうなってみると・・。
土手がつくづくいいと思えるのも”我が家であり茶の間”があるからだと私は思います。ボヘミアンには憧れてもなりきることは出来そうもありません。止むを得ずなってしまうかどうかは別として。
忙しくやっているうちはそういう人を見ると羨ましくてもいざ自分がそうなってみると・・。
土手がつくづくいいと思えるのも”我が家であり茶の間”があるからだと私は思います。ボヘミアンには憧れてもなりきることは出来そうもありません。止むを得ずなってしまうかどうかは別として。
0
Commented
by
knaito57 at 2006-10-17 08:43
世間を狭く生きているから“居場所”などが気になるわけです。その点、saheiziさんは「随所為主」の境地に達しているようで……。
Commented
by
散歩好き
at 2006-10-17 09:40
x
小生はほぼ毎朝江戸川歩きますが夜は酔っ払って寝てしまうので毎朝ネジの巻きなおしと感じています。歩く事は無心になっている事が多く貴重な時間であるし、見晴らしが良く鳥、植物の多いのは楽園と思っています。
Commented
by
knaito57 at 2006-10-17 09:59
「ネジのまき直し」──わかりますねえ。でも、それは同時に「ネジをゆるめる時間」でもある。