2007年 02月 21日
●走る・歩くこと |
18日の日曜日に初の「東京マラソン」が開催された。事前からうるさいくらい広報宣伝があり市民ランナー3万人が参加、テレビの視聴率も高く成功裡に終わったらしい。
だが“もともと偏屈男”たる私は、このテレビ中継を見なかった。日本列島、皆傑ぞろぞろに書いたようにこういうイベントが嫌いだし、東京都がばかにリキを入れていると(オレは都民じゃない)なんて気分にもなる。
それでも、ニュースや新聞記事を見ながらあれこれ考えたものだ。
この大会は有森裕子さんにとってラストランであったそうだ。思えば、彼女のバルセロナ五輪(92年・銀メダル)での活躍がマラソン人気のきっかけとなったのであり、私はといえば屋内のランニングマシンでの準備を終えて土手のロードコースに出始めたころで、あの走りに感銘を受けたことを想起する。(オレの現役引退はまだ先だぞ)
コースは、都庁→皇居→銀座→浅草→東京ビッグサイト。天候はあいにくの冷たい雨だった。それでも完走者が多く、異口同音に“貴重な体験”“感激”を語るからそれなりのことはあったのだろう。
・東京の街が美しかった──“はとバス”並みのよそいき・お座敷コース、しかも自動車のない光景だもの当然。
・気持ちよかった──目抜き通りの中央を堂々と大勢で、注目されながら走るのだからごもっとも。
・感動しました──大勢のランナーとの一体感、ボランティアや観客の声援。その中を自分なりにベストをつくして走る充実と昂揚感があるんだもの当たり前。
いずれも非日常体験であり、日ごろ身体的な限界に挑む全力投球に縁遠くなっている人々には未知の感覚や自己発見があったことだろう。たとえば「走ることは自分に向き合うこと」と話していた人がいる。これなどウォーキングで筋肉運動以上にむしろ思考が活発化する事実に驚くことがあるからよくわかる。日常、自己の体力と向かい合ったり内省的になる時間が乏しいのが都会人だから。
私は根っからの車ぎらい、“歩き”の原点に書いたように原始的な筋力を尊ぶ“土手歩きの専門家”だ。素朴なマンパワーに敬意を持つから、流儀は違うけれどランナーやサイクリストにも共感するところがある。ともに自動車とは異なる文化に属するだけでなく、「敵の敵は友達」というわけだ。
そうはいっても、マスコミに踊らされたりイベント仕掛け人の音頭に乗って行列に加わる“市民づら”が耐え難いほど嫌いなので、東京マラソンとか何とかウォークなどの大会に参加する意思は全くない。こんな催しでも人間性を取り戻すきっかけとなるかもしれないと雅量を見せたいのだが、なお(そう大騒ぎしてやるほどのものじゃない)という思いは残る。
昨今、有酸素運動の効果を信奉する人がふえて、スポーツクラブのランニングマシンには根強い人気がある。私も土手歩きの合間をうめたりフォームの矯正のために利用することがあるが、あれも20台も並んでベルトに乗っている姿は滑稽であり気味悪くもある。
ところで、このマシンに“時速の目安”というシールが貼ってある。それによると「歩くペース=3〜4㎞ 早歩き=4〜7㎞ 軽いジョギング=8㎞〜」となっている。
人によりけりだが、時速4キロを境に“散歩”と“ウォーキング”に分かれると考えてもいいだろう。私の場合、標準速度は時速6キロ。これは早いほうではないが、短足を考慮すればまあ頑張っている速度だ。ところが自然観察に意識がいくようになった近年では、ともすると5キロくらいに落ちてしまう。寸暇を惜しんで歩いた会社勤めのころ、野草など見ながらゆっくり歩くのはぜいたくであり憧れであったが、それをできるようになった現在ではこの速度減がジレンマとなっている。
むしろ私はスピードよりも耐久力を重視している。「42キロを7時間で歩く」のが当初からの目標であり、そのためには時速6キロを7時間持続しなければならない。
ところで東京マラソンでは7時間という制限が設けられて、タイムオーバーとなった人はバスに乗せられたようだ。7時間!? で、頭によぎった思いがある。
──オレでも、バスに乗らずに完走(歩)できるかしれない。次回、参加しようかしら。
と、これはブラックジョーク。たとえNHKから打診されても、私はあの雑踏の中に入りたくはない。私が好きなのは人気のない土手を歩くことと、脇から能書きをたれることなのだから。けれども、他人さまにはお勧めしたい。
──見るよりもやってこそスポーツ。理屈や評論をこねる傍観者よりも、体を動かす者のほうがえらい!
スポーツは何でもいいものだが、その基本となる“走る”か“歩く”に出会ってそれをわが物にすることは生涯の宝物を得るに等しい。
だが“もともと偏屈男”たる私は、このテレビ中継を見なかった。日本列島、皆傑ぞろぞろに書いたようにこういうイベントが嫌いだし、東京都がばかにリキを入れていると(オレは都民じゃない)なんて気分にもなる。
それでも、ニュースや新聞記事を見ながらあれこれ考えたものだ。
この大会は有森裕子さんにとってラストランであったそうだ。思えば、彼女のバルセロナ五輪(92年・銀メダル)での活躍がマラソン人気のきっかけとなったのであり、私はといえば屋内のランニングマシンでの準備を終えて土手のロードコースに出始めたころで、あの走りに感銘を受けたことを想起する。(オレの現役引退はまだ先だぞ)
コースは、都庁→皇居→銀座→浅草→東京ビッグサイト。天候はあいにくの冷たい雨だった。それでも完走者が多く、異口同音に“貴重な体験”“感激”を語るからそれなりのことはあったのだろう。
・東京の街が美しかった──“はとバス”並みのよそいき・お座敷コース、しかも自動車のない光景だもの当然。
・気持ちよかった──目抜き通りの中央を堂々と大勢で、注目されながら走るのだからごもっとも。
・感動しました──大勢のランナーとの一体感、ボランティアや観客の声援。その中を自分なりにベストをつくして走る充実と昂揚感があるんだもの当たり前。
いずれも非日常体験であり、日ごろ身体的な限界に挑む全力投球に縁遠くなっている人々には未知の感覚や自己発見があったことだろう。たとえば「走ることは自分に向き合うこと」と話していた人がいる。これなどウォーキングで筋肉運動以上にむしろ思考が活発化する事実に驚くことがあるからよくわかる。日常、自己の体力と向かい合ったり内省的になる時間が乏しいのが都会人だから。
私は根っからの車ぎらい、“歩き”の原点に書いたように原始的な筋力を尊ぶ“土手歩きの専門家”だ。素朴なマンパワーに敬意を持つから、流儀は違うけれどランナーやサイクリストにも共感するところがある。ともに自動車とは異なる文化に属するだけでなく、「敵の敵は友達」というわけだ。
そうはいっても、マスコミに踊らされたりイベント仕掛け人の音頭に乗って行列に加わる“市民づら”が耐え難いほど嫌いなので、東京マラソンとか何とかウォークなどの大会に参加する意思は全くない。こんな催しでも人間性を取り戻すきっかけとなるかもしれないと雅量を見せたいのだが、なお(そう大騒ぎしてやるほどのものじゃない)という思いは残る。
昨今、有酸素運動の効果を信奉する人がふえて、スポーツクラブのランニングマシンには根強い人気がある。私も土手歩きの合間をうめたりフォームの矯正のために利用することがあるが、あれも20台も並んでベルトに乗っている姿は滑稽であり気味悪くもある。
ところで、このマシンに“時速の目安”というシールが貼ってある。それによると「歩くペース=3〜4㎞ 早歩き=4〜7㎞ 軽いジョギング=8㎞〜」となっている。
人によりけりだが、時速4キロを境に“散歩”と“ウォーキング”に分かれると考えてもいいだろう。私の場合、標準速度は時速6キロ。これは早いほうではないが、短足を考慮すればまあ頑張っている速度だ。ところが自然観察に意識がいくようになった近年では、ともすると5キロくらいに落ちてしまう。寸暇を惜しんで歩いた会社勤めのころ、野草など見ながらゆっくり歩くのはぜいたくであり憧れであったが、それをできるようになった現在ではこの速度減がジレンマとなっている。
むしろ私はスピードよりも耐久力を重視している。「42キロを7時間で歩く」のが当初からの目標であり、そのためには時速6キロを7時間持続しなければならない。
ところで東京マラソンでは7時間という制限が設けられて、タイムオーバーとなった人はバスに乗せられたようだ。7時間!? で、頭によぎった思いがある。
──オレでも、バスに乗らずに完走(歩)できるかしれない。次回、参加しようかしら。
と、これはブラックジョーク。たとえNHKから打診されても、私はあの雑踏の中に入りたくはない。私が好きなのは人気のない土手を歩くことと、脇から能書きをたれることなのだから。けれども、他人さまにはお勧めしたい。
──見るよりもやってこそスポーツ。理屈や評論をこねる傍観者よりも、体を動かす者のほうがえらい!
スポーツは何でもいいものだが、その基本となる“走る”か“歩く”に出会ってそれをわが物にすることは生涯の宝物を得るに等しい。
by knaito57
| 2007-02-21 17:18
| ●土手のたはこと
|
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Comments(5)
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saheizi-inokori at 2007-02-22 16:19
スタート直後の新宿大ガードに男性が壁に向かって並んで一斉放水したそうです。トイレが足りなかった。
マスコミもそういうところを取材すべきだなあ。
石原知事の人気挽回策、オリンピック誘致がギラギラしてますね。
マスコミもそういうところを取材すべきだなあ。
石原知事の人気挽回策、オリンピック誘致がギラギラしてますね。
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散歩好き
at 2007-02-22 22:41
x
場所が違いますがトマホークモーガン覚えています。冒険王に連載の
平原児に出てくるキャラクター。馬の書き方が印象にあります小松崎茂。
柏に住んでいました。当店に良く来た日本画家の林呉春さんの知り合いで話をききました。晩年は糖尿病で苦しんだそうです。
今思い出すに山川惣治とダブルところがあります。少年王者アーメンポテップ。
暖かくなったら東京湾まで20kmをやろうと思っています、
平原児に出てくるキャラクター。馬の書き方が印象にあります小松崎茂。
柏に住んでいました。当店に良く来た日本画家の林呉春さんの知り合いで話をききました。晩年は糖尿病で苦しんだそうです。
今思い出すに山川惣治とダブルところがあります。少年王者アーメンポテップ。
暖かくなったら東京湾まで20kmをやろうと思っています、
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knaito57 at 2007-02-23 07:43
saheiziさん。3万人のうち、ケータイを携帯した人がどれくらいいたでしょうね。考えるだけで怖気づく光景です。
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knaito57 at 2007-02-23 07:43
“散歩好き”さん。トマホークモーガン、ハリケーンハッチ、少年王者……次々に思い起こします。小松崎茂を真似て、拳銃とカウボーイハットばかり描く子どもでした。
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saheizi-inokori at 2007-02-25 09:23
小松崎茂!あの細密な画、見れば見るほど一本一本の線が人間が描いたものと思われないほどでした。
「少年」でしたか、軍艦とか大きな”特集”になったのを覚えています。
ああ、あの「少年」の新しい号を開く時のトキメキ、至福感もよみがえって来ましたよ。
「少年」でしたか、軍艦とか大きな”特集”になったのを覚えています。
ああ、あの「少年」の新しい号を開く時のトキメキ、至福感もよみがえって来ましたよ。