2007年 07月 17日
●風雨ニモ地震ニモ負ケズ |
おとといの日曜日。台風が関東地方に最も接近するというので、午後早めに小金井の隠居所を出た。
♪♪雨に風につけても(高野辰之作詞“故郷”2番)あっさり止まってしまう武蔵野線が、遅れながらも運行して、♪♪恙なし(同)
雨も風もたいしたことないので、江戸川を越える一駅手前の三郷で下車。流山橋を渡り、土手沿いに北上してわが家をめざした。
川の増水は案外で八分程度。対岸のグラウンドにあふれ出す危惧はない。それでも濁流が胸元に迫るような圧迫感がある。断続的に吹きつける小粒の雨が眼鏡のレンズにびっしりとつく。塩分を含んだようなべとつく雨だ。人影はなく、ちょっとしたストームハイク気分。重いバッグを左右に持ち替えながらはややきついけれど、ジムのトレーニングと土手歩きと増水した江戸川の視察を同時にできる充実感がある40分間だった。
二三日、ずっと台風情報を見ていたが、この台風4号というのはしゃれたことをするものだ。本土接近以来、佐多岬から足摺岬、潮岬、伊良子岬、石廊崎、洲崎……と、しっかり“岬めぐり”をやっている。でんでんむしさんの岬めぐりよろしく、いったい幾つの岬を通ったことになるんだろう?
きのうは厄日だったのかしれない。台風が太平洋へ抜けてほっとしている10時過ぎ、新潟県中越沖地震が発生した。この辺でも震度3という以上に感じたが、東北から近畿地方まで広範囲にわたりかなりの揺れがあった。現地周辺では3年前の中越地震の悪夢再来で被害も甚大、人々はなお余震におびえている。関連はわからないが、午後から夜にかけて京都と茨城でも地震があった。台風と地震──「泣き面に蜂」というか「踏んだり蹴ったり」というか、日本列島は災厄の日となった感がある。
長崎で遊説中の安倍首相は「新潟県で大きな地震があったので直ちに、すぐ戻らなければなりません」というようなことを言っていた。当然だ。当然ではあるが、このところ失点続きのうえ、参院選を控えている折りだけに、災害が早速ダシに使われている感じも否めない。
ことあるごとに同じ失態をさらけ出す政治家も官僚も、これだけ続いてマスコミ批判にさらされれば少しは学習効果もあるはず。後日「そのときゴルフ、宴会」などという記事を見ることはないだろう。とはいえ、柏崎原発の火災と放射能漏れ疑惑など“犯人探しゲーム”はいくつも控えているが。
私は他人様が思っているよりもずっと謙虚で良識ある人間だから、この非常時に土手ウォーキングとは不謹慎かという気持ちがある。体育館などに避難している人々や亡くなった人の多くが高齢者であることを思えば痛ましく、考えさせられるものがある。けれどもその一方で、ノー天気にウォーキングできるのも隠居の特権とか、身体を鍛えておけばいざというとき我が身を自分で守れるんだから……と、理屈はいろいろ思いつく。
そんなわけで、地震情報を見届けて、午後から歩くことにした。が、土手にのぼって驚いた。一段と水位が上がって、対岸のゴルフ場が部分的に冠水、大きな湖ができている。とはいえ、テレビが報じる各地の水害状況を思えば“ちょろい”もので、危機感はない。
げんに土手の人出はいつもより多い。“海の日”とかいう祭日のせいもあるかしれないが、プロの自転車や犬の散歩などが一斉にくり出してきたような活況だ。気楽な庶民が多いのは悪いことじゃない。
さて、この盛り上がるように流れる濁流はどこから来た──この辺ではあれから雨はほとんど降っていないから、上流で大量の雨が降ったことはホームズでなくてもわかる。流れの速さは時速7〜8キロ。つまり、まる一日かけて流れてきたわけだ。待てよ、江戸川ならどう遡ってもせいぜい2〜3日だが、ナイルとかドナウなどの大河ではけたが違うな。目の前を流れる水が、ひと月近くも前に他国である上流で降った雨なのだとむりなく考えることができるものだろうか。
また、いつもの台風後なら枯れ木やゴミなどの浮遊物が多いのに、今回はそれがほとんど見られない。ということは奥深い山間部の雨ではなく中流域に降った雨や支流の流れ込みが主体なのだろう。「大河の一滴」という小説があったが、川の生成や一滴の水の由来を考えるなどというのも、時間にゆとりがある土手歩きならではのゲームだ。
ときどき、濁流に潜水艦の潜望鏡のようなものが見える。目をこらして見るとカワウで、獲物を見つけたのか、水中にもぐったりしている。
土手の下に点在する家々ではオレンジ色のノウゼンカズラが満開だ。海沿いの地域は大変だったようだが、幸いにこの辺は平穏無事に見受けられる。
♪♪雨に風につけても(高野辰之作詞“故郷”2番)あっさり止まってしまう武蔵野線が、遅れながらも運行して、♪♪恙なし(同)
雨も風もたいしたことないので、江戸川を越える一駅手前の三郷で下車。流山橋を渡り、土手沿いに北上してわが家をめざした。
川の増水は案外で八分程度。対岸のグラウンドにあふれ出す危惧はない。それでも濁流が胸元に迫るような圧迫感がある。断続的に吹きつける小粒の雨が眼鏡のレンズにびっしりとつく。塩分を含んだようなべとつく雨だ。人影はなく、ちょっとしたストームハイク気分。重いバッグを左右に持ち替えながらはややきついけれど、ジムのトレーニングと土手歩きと増水した江戸川の視察を同時にできる充実感がある40分間だった。
二三日、ずっと台風情報を見ていたが、この台風4号というのはしゃれたことをするものだ。本土接近以来、佐多岬から足摺岬、潮岬、伊良子岬、石廊崎、洲崎……と、しっかり“岬めぐり”をやっている。でんでんむしさんの岬めぐりよろしく、いったい幾つの岬を通ったことになるんだろう?
きのうは厄日だったのかしれない。台風が太平洋へ抜けてほっとしている10時過ぎ、新潟県中越沖地震が発生した。この辺でも震度3という以上に感じたが、東北から近畿地方まで広範囲にわたりかなりの揺れがあった。現地周辺では3年前の中越地震の悪夢再来で被害も甚大、人々はなお余震におびえている。関連はわからないが、午後から夜にかけて京都と茨城でも地震があった。台風と地震──「泣き面に蜂」というか「踏んだり蹴ったり」というか、日本列島は災厄の日となった感がある。
長崎で遊説中の安倍首相は「新潟県で大きな地震があったので直ちに、すぐ戻らなければなりません」というようなことを言っていた。当然だ。当然ではあるが、このところ失点続きのうえ、参院選を控えている折りだけに、災害が早速ダシに使われている感じも否めない。
ことあるごとに同じ失態をさらけ出す政治家も官僚も、これだけ続いてマスコミ批判にさらされれば少しは学習効果もあるはず。後日「そのときゴルフ、宴会」などという記事を見ることはないだろう。とはいえ、柏崎原発の火災と放射能漏れ疑惑など“犯人探しゲーム”はいくつも控えているが。
私は他人様が思っているよりもずっと謙虚で良識ある人間だから、この非常時に土手ウォーキングとは不謹慎かという気持ちがある。体育館などに避難している人々や亡くなった人の多くが高齢者であることを思えば痛ましく、考えさせられるものがある。けれどもその一方で、ノー天気にウォーキングできるのも隠居の特権とか、身体を鍛えておけばいざというとき我が身を自分で守れるんだから……と、理屈はいろいろ思いつく。
そんなわけで、地震情報を見届けて、午後から歩くことにした。が、土手にのぼって驚いた。一段と水位が上がって、対岸のゴルフ場が部分的に冠水、大きな湖ができている。とはいえ、テレビが報じる各地の水害状況を思えば“ちょろい”もので、危機感はない。
げんに土手の人出はいつもより多い。“海の日”とかいう祭日のせいもあるかしれないが、プロの自転車や犬の散歩などが一斉にくり出してきたような活況だ。気楽な庶民が多いのは悪いことじゃない。
さて、この盛り上がるように流れる濁流はどこから来た──この辺ではあれから雨はほとんど降っていないから、上流で大量の雨が降ったことはホームズでなくてもわかる。流れの速さは時速7〜8キロ。つまり、まる一日かけて流れてきたわけだ。待てよ、江戸川ならどう遡ってもせいぜい2〜3日だが、ナイルとかドナウなどの大河ではけたが違うな。目の前を流れる水が、ひと月近くも前に他国である上流で降った雨なのだとむりなく考えることができるものだろうか。
また、いつもの台風後なら枯れ木やゴミなどの浮遊物が多いのに、今回はそれがほとんど見られない。ということは奥深い山間部の雨ではなく中流域に降った雨や支流の流れ込みが主体なのだろう。「大河の一滴」という小説があったが、川の生成や一滴の水の由来を考えるなどというのも、時間にゆとりがある土手歩きならではのゲームだ。
ときどき、濁流に潜水艦の潜望鏡のようなものが見える。目をこらして見るとカワウで、獲物を見つけたのか、水中にもぐったりしている。
土手の下に点在する家々ではオレンジ色のノウゼンカズラが満開だ。海沿いの地域は大変だったようだが、幸いにこの辺は平穏無事に見受けられる。
by knaito57
| 2007-07-17 11:45
| ●土手のたはこと
|
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Comments(9)
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saheizi-inokori at 2007-07-17 13:06
私は人様の思っている通りの人間ですので午後は観能、そして一杯(=沢山)飲んで帰りました。
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散歩好き
at 2007-07-17 18:32
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knaito57 at 2007-07-18 07:58
どのような人として記憶されたいですか──という問いに対して、老いたグレゴリ・ペックは「何よりもよい夫だったと、そしてよい親、よい祖父だったと思われたい」と答えています。これを妥当と思う反面「どう思われるかよりも、自分で納得のいく生き方こそ大事なのでは」と、まだ揺れているんですよ、saheiziさん。
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knaito57 at 2007-07-18 08:12
楽しく優しくときに恐ろしく、包容力があり教訓的でもあり……と、川は多様な表情を持っています。向かい合うこちらの状況でも異なりますが、そのときどきにいろいろなことを感じさせてくれる「川のある光景」はありがたいですね、“散歩好き”さん。
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散歩好き
at 2007-07-22 21:49
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宮沢賢治は高校生の時、法華経を読み感動しその生き方を貫いたといいます。御来松の折お持ちになった法華経のレジメを読んで感動したでしょうか?小生はには解りませんでした。
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knaito57 at 2007-07-23 07:53
“散歩好き”さん。知識と理解力の不足を棚上げしていえば「シンプル・平明こそ宗教の眼目ではないのか」と思いました。──安心立命なら土手にもある。そこでの観照・内省の時間はけっこう宗教的ゆえ「オレは土手教教祖」などと、罰当たりなことを妄想しています。
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antsuan at 2007-07-25 20:07
ニューオーリンズの惨事を思い浮かべると、非常時に土手を見回るのは危機管理能力がある証拠です。(笑) 全く、原発の放射能漏れなんて可愛いものですよ。江戸川の堤防が決壊したらアベちゃんは東京なんて絶対戻らないだろうなぁ
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knaito57 at 2007-07-25 22:17
「見回る」といえばテイがいいけれど、正直なところ、私が台風や大雨のあと土手に向かうときの気分は野次馬的好奇心なのです。しかし「想定外」のことがあっさりと起こる昨今ですからナメたらいかんですね。
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at 2007-07-29 21:46
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