久々の投稿 |
このブログはざっと10年も前に終息をはかった。ところがネット上から消える
わけでなく、ぼつぼつ訪問者もある。で、申し訳ない気持ちもあって「ほんとに
最後」の更新をすることになった。
★コロナで巣ごもりが長びく方には気が引けるが、当方の生活パターンはふだん
と変わらず、マスクなしで土手を闊歩している。
今まさに「明け易し」の季節。5時前というのに、同好の姿がちらほら。草木
はすべてみずみずしく、早苗田の緑も日増しに色濃くなっている。
33.75キロ標識の手前で見慣れない鳥に出会った。川岸に立つ棒の尖端にじっと
している大きな鳥だ。立ち止まって観察する。猛禽類らしいが、距離が遠くて
はっきりとは見えない。大きさや色と形、くり返される「ピーヒョー」という長
い鳴き声──獲物を狙っているような、こちらを窺っているような沈黙の時間が過
ぎる。
常連のおばさんたちが近づいてきて「あれ、なんですう」「ずっと見てるけど
わからない」「あの鳥、さっきカラスとケンカしてたけど負けてなかったよ」。
地元のおやじさんも参加するが不明。(もしかして珍鳥を見つけたか)との思い
がよぎる。自転車で来た紳士が立派なカメラを持っているので訊いてみたがわか
らず。ひとり粘ること小一時間、ついに飛び立つ。ゆうゆうと飛翔する姿からト
ンビかオオタカときめて帰路へ。さっそく図鑑で調べると、鳴き声と生態がずば
りでトビ(トンビ)と確定した。
昔のギャルに囲まれて「先日この先でタヌキを見たよ」と自慢すると「いるん
ですよお、この下にい。ことしはキツネ見ないけど」とあっさり。この河川敷と
近くの森には意外な生物が棲息している。キジ、ウシガエル、先月からはカッコ
ウ。声だけだが「ちょっとこい」のコジュケイ、「特許許可局」のホトトギス。
折しも荒川河川敷で捕獲された野生シカの殺処分報道に、「引き取りたい」
「殺さないで」という希望や意見が殺到しているとか。あらためて、水と緑ゆた
かなこの環境をありがたく思う。
★土手を歩いて30年になる。文化の日が近づくと「この道一筋」で表彰されても
などと自嘲するが、世のため人のためになったわけではないからと謙虚に思い直す。
それでも30年という歳月はなかなかのもので、その間の変化を思うと足が止
まってしまうほどだ。
当時は東京に通うサラリーマンで、何よりも非日常性とおおらかな景色にひか
れた。好んで歩く流域は自然一色で、人工的な建造物は途中でくぐる常磐高速道
の他には病院があるだけだった。それが今では老人ホーム、高校、大型流通倉庫
群、併行して自動車道などがここの景色を変えていく。
歩いていてツバメやオニヤンマと衝突しそうになったり、すぐ傍をコウモリが
ひらめいていたのは昔話。今や自転車競走のトレーニングコースで、疾走するグ
ループも多い。立ち止まって野草を摘んだり、ノラネコをかまったりという気分
のゆとりも失われつつある。
川岸の変貌もひどい。護岸工事ということで、岸辺に林立していたヤマナラシ
の高木がすべて伐採され、川面の風情が「面変わり」した。
歳月は茫々、世の中の変化には今さらながら驚かされる。
早朝に、野茂英雄が登板するラジオ放送をよく聴いた。まだBSテレビがなかっ
た。近ごろはケータイだかスマホだかが必携の世の中だからしかたないが、土手
を歩きながらしゃべっているヤツには我慢ならない。
この間には大きな災害や事件が相次いだ。オウム真理教、阪神淡路大震災、ア
メリカ9.11同時多発テロ、東日本大震災……きりがないが、現下の新型コロナ・イ
ンパクトはさらに大きい。
まさに今昔の感。かつてこの土手にはウソのような世界があり、私には聖域
だった。何を隠そう、30年のあいだには、生理的限界から路傍の雑草に散水した
ことが何べんかある。しかし、飴の紙一枚も投げ捨てたことはない。ささやかな
がら、この環境に対する私なりのこだわりである。
★八十路土手いつまで──80歳の自分というのは、ピンとこない。本人に自覚はな
くてもマイナンバーカードがそれを証明し、周囲もそのように遇する。まぎれも
ない老境である。
病気もせずに80歳を迎えて、なお土手を歩き好き勝手なことをほざいていられ
るとは、幸せというかおめでたいというべきか。
この健康は土手歩きがもたらしたとは言い切れない。親から受け継いだDNAや
妻のおかげかもしれない。けれども、土手の時間が思索・元気・安らぎなど精神
的な恩恵をもたらしたことは疑いない。
この10年ほどは多事多難の歳月だった。母をはじめ多くのきょうだい身内を送り、
曲がりなりにも「お役目」を果たし終えた。同世代に属する著名人の訃報をよく
目にするし、友人知己の異変を聞くこともふえた。このブログを勧めてくれた旧
友『でんでんむしの岬めぐり』も重篤のようすである。自分だけは例外といえる
ほどの自信も思い上がりもない。しからばあと数年、土手の余沢を頼りにぼちぼ
ち歩こうかと思っている。