2005年 04月 23日
植物の時間(2) |
■土手を守る強者たち
堤防の巨大な土塁を風雨や地震あるいは乾燥や水の浸食から守っているのが、根を張る強靭な野草たちだ。〈自転車・歩行者専用〉コースの両縁の土止めにはふつうの高麗シバが使われているが、広大な斜面をたくましくおおっているのはつぎのような野草である。
野草ではあるが、おそらく意図的・人工的に改良されたものであろう。根が強く背丈が高いイネ科のものが多い。
チカラシバは大きな株から長い葉をたくさん出して、高さ数10センチになる。くきも根も強靭で容易に引き抜けないのでこの名がついたそうだ。秋におとなの中指ほどもある褐色のブラシ状の花穂をつける。この穂先が並んで風に揺れるさまは、やや荒涼とした風情である。
──エノコログサ
エノコログサはどこにでも見かけるタフな野草だ。夏から秋にかけて伸ばす緑色の穂が子犬の尻尾のようなのでこの名がついたが、ネコジャラシという呼び方が一般的だ。みっしり実ったこの穂が伸びそろうと、無数の槍が林立するさまに似るから、それを左右に見て歩くと軍隊を閲兵する皇帝の気分になる。これの小型で穂が黄金色に見えるのがキンエノコロだ。
カモジグサも丈が一メートル近くになるイネ科の多年草だ。すいすいと伸びたくきの先につける小穂は実ったイネのように頭をたれる。
カモジグサによく似ているイヌムギとカラスムギもイネ科で草丈が高くなる。カラスムギは牧草でもあり、通常はひざくらいの丈になると除草機で刈られてしまうが、すぐまた伸びる成長力がある。いずれもイネのような穂をたれる。
──カラスムギ
イヌビエも同じようなものだが、褐色の穂先はヒエに似ている。だいたい、イヌなんとか、カラスなんとかというのは、ヒエとかムギといっても人間の食用にはならない雑草である。
子どものころチカラ草、すもう草と呼んでいたのはオヒシバ、メヒシバだ。〈雑草の大関格〉といえるほど繁殖力が強く、空き地や原っぱなどどこにでも繁茂する。丈はひざ上くらいで、初秋に傘の骨状の穂を伸ばす。これを手に持って引っぱりっこして、ち切れたほうが負けという遊びをした。
カヤツリグサでも遊んだ記憶がある。夏のころにつける黄褐色の穂が線香花火の火花に似た形で、このくきを裂くと蚊帳を吊ったような四角がつくれる。かつて野草は子どもたちにとっていい遊び道具だったわけだ。
若葉を摘んで草もちにしたモチグサはキク科のヨモギのこと。秋には高さ1メートル近くなって黄緑色の細かな花が咲く。
花も葉もヨモギによく似ているブタクサも繁殖力がつよく、どこにでもある。秋にかけて花粉を多くとばしてきらわれる公害雑草だ。
夏に繁茂するカナムグラはクワ科の一年草だが、とげのあるつる性植物でふれると痛い。何にでもからみつき巻き付いて伸びるので草原のギャングみたいだ。わたしはスギとヒノキのほかにヨモギ・ブタクサ・カナムグラにもアレルギー反応があるので、初秋のウォーキングは、くしゃみ頻発、鼻水ぐしゅぐしゅのていとなる。
アレチノギク、オオアレチノギクは南米原産の越年草で、夏から秋にかけて白い小さな花をたくさんつける。
土手には以上のような野草が土くれも見えないほどにひしめいて、季節毎に攻防盛衰をくり返している。そして堤防という構造物はこれらの生命力にとんだ草たちによって守られているのだ。
──しの竹のやぶ
■秋・冬の野草
秋の土手にはヒガンバナ、別名マンジュシャゲが咲く。お彼岸のころ長いくきの先にひらく赤い花は、土手のコースを照らすかがり火のようだ。以前はそのあやしい色と形は、根元に死者が埋まっているようで気味がわるかったものだ。しかし、田んぼのあぜ道や土手に群生するのを見るうちに、この風情が初秋のいなかの景色に欠かせないものに思えるようになった。雰囲気がいいのか、語感のゆえか、それとも字面が好まれるのか、曼珠沙華は俳句に詠まれることが多い。
──彼岸花
このあざやかな花が終われば、土手は野草ばかりとなる。前述の土手の守備隊以外でおなじみの野草を紹介すると——。
子どものころアカマンマと呼んでいた草がある。タデ科で丈50センチほど、細いくきの先につける紅紫のこまかい花穂が小粒の赤飯に似ているのでままごとに使った。この仲間は多く、春にはハルタデ、初夏からはサナエタデ、イヌタデ、秋になるとハナタデ、ボントクタデなどが入れ替わりで花穂をゆらしている。図鑑を見ると、その昔のアカマンマとは紅色が濃いイヌタデのようだ。
──赤マンマと野紺菊
初秋にキクに似た薄紫の小さな花をたくさんつけるのはヨメナかノコンギクか。よく似ているので区別がつかないが、秋の草原では目立つ素朴な美しさがある。
秋に土手下の草原を歩くと、青紫のひときわ清楚なリンドウを見つけられる。これは野生種で、ふだん見る園芸種にくらべるとくきが細く、花色が淡い。
イヌノホオズキとワルナスビはナス科で互いによく似ている。夏に薄紫の花が咲き、そのあとに小さな実をつける。
オオバコは道ばたに広がる野草で土手のコースの足元にも多い。〈雑草の王様〉といえるほどバイタリティにとみ、踏みつけられたり砂利でつぶされるような逆境でもしぶとく繁茂する。薬草に利用されるというが、食糧難時代にこれを食べた記憶がある。先日のテレビで、脱北者の少女が「これ食べられるのよ」と示していたのがこのオオバコ。わたしは突如として半世紀も昔のことを思い出しながら腕を振って歩く──みそで味付けしたその味がたちまち口中に蘇る味覚の記憶のふしぎさに、心はしばし遠くへ行ってしまう。
なお、ここだけの話だが40キロ地点の野田橋を越えるとオオバコはほとんど見られなくなり、代わりに葉が細長く花茎を長くのばすヘラオオバコが幅をきかすようになる。
シロザはどこにも見かける雑草だ。若葉はかわいいが、秋に1メートルにもなるとおよそ風情がない。
タケニグサはケシ科で背丈ほどに伸びる。夏、先端にぽそぽそした白花をつけるが、これも見た目が大味な植物だ。
子どものころ、首飾りにしたりお手玉の中に入れたりしたジュズダマもある。よく繁るイネ科で、これも郷愁をさそう植物だ。
つる性のヤブガラシは周囲の植物を駆逐するほどのたくましさがあるが、それゆえに嫌われ者でもある。もっともブドウ科だから、ぽそぽそした花のあとにつける実は小鳥が好みそうだ。
──クズの花
さらにバイタリティがすごいのはマメ科のクズだろう。土手だろうが空き地だろうが、数年放置された土地にはびこるのはススキかクズだ。ところかまわず伸ばす太いつるは強靭でロープの代わりになるので、古来、生活用材に利用されてきた。猛々しい植物だが、紅紫の花はよく見るとけっこう美しく、この根からはでんぷん質の葛粉がとれる。
──アザミ
■除草と焼却
土手の草はこまめに刈られて、つねにこざっぱりしている。だから、けっして草ぼうぼうという状態にはならないし、コースを歩くかぎり草露で足をぬらすこともない。それだけ県当局がメンテナンスに費用をかけているわけだが、利用者にとってはありがたいことだ。
土手の除草作業は、真冬期をのぞいてほとんど通年実施している。ほぼ2、3カ月に1回だからかなりのハイピッチであり、作業量である。土手の両側に広がる法(のり)面は幅が数十メートルもあり、それが50キロもつづくのだから業務量も相当なものだ。
年最初の除草は3月に行われる。厳冬にもめげないたくましい野草が多いから、お彼岸のころにはさまざまな草が伸びて春の花をつける。思わずキツネアザミやホトケノザなど採りだすと止まらない。ハルジオン、カラスノエンドウと、たちまち野趣いっぱいの花束ができて、ウォーキング変じて野草摘みになる。
はじめはちょっと人目を気にしたものだが、何のことはない。追いかけるように除草作業車が迫ってきて、すべての草は数センチほどに刈り込まれて土手は五分刈りの坊主頭みたいになってしまった。
──除草開始
五月下旬には、地域の恒例となっている〈クリーン大作戦〉という行事がある。盛夏に向かって、みんなで街路などをきれいにしましょうというもの。これに合わせて、土手でもまた早くも腰高まで生い茂った雑草を刈る。こざっぱりしてみると、草陰にかくれていたごみクズなどもあらわれて、ボランティアの人々が大きな袋を持って拾い集める。
最近、草刈り機が入った後、意図的に刈り残される区域がある。サッパリした土手に、長さ50メートルほどの草ぼうぼうが帯状に残っているのは奇妙な光景だ。周囲にはロープが張りめぐらしてあり、刈り残しの弁解よろしく「イネ科花粉症対策植生試験区間」という看板が添えられている。現代人がひ弱くなったせいか、それとも医学の成果か、近年たしかにネズミホソムギなどイネ科の植物による花粉アレルギーに悩む人がふえている。土手の草原がその対策研究に一役買ったということなのだろう。
除草作業はブルドーザーのような車で行うから、まるで土木工事だ。斜面をはうように刈り進んでいくのは相当の危険を伴うし、作業は熟練を要する。人影もない土手で一日中稼働して、こなせるのはせいぜい2キロメートルほどだろう。そうして少しずつ移動して一応終わるころには、もう始めの場所の草はかなり伸びている。すなわちこの作業はエンドレスに見える。請け負っている業者から見れば、一年中仕事が切れないありがたい商売であろう。
作業のあと間もなく歩くと、青草の香りがする。緑の土手は坊主刈りのように変わり、カラス、スズメ、ムクドリ、ハトなどが群がっている。草陰にいた昆虫やミミズなどがあらわになって、豪勢なバイキング食大会をやっているのだ。
それから数日たつと、干し草独特のかぐわしい匂いに変わる。刈り取った草は数メートルおきにまとめられて小さな山を築く。それが乾ききると焼却する。焼いたあとの黒い灰が点々とあるいは帯状につづいて、広い土手にお灸をすえたように見える。この灰が雨に流されるころには洋芝がどんどん伸びている。
わたしはときどき(あの除草作業をして働きたいなあ)と思う。寒かったり、暑かったり大変だろうが、こんなに大きな景色の中で一人で作業を采配して、草の匂いをいっぱい吸って、世間の人に感謝されて……。
──刈草のロール
実際、感謝している。この道を専用コースのように使え、自然を満喫し、いつも整備してきれいに保ってくれる。だから、ふと天皇か将軍になったような気分になる。順路に玉砂利をしき、水を打ってわたしの「おなり」を待ってくれているようで「すまないのお、そこまでしてもらって……」と思うのだ。
■幸せの黄色い〈菜の花ロード〉
春の土手は、寒い間こらえていたスカシタゴボウ、イヌガラシなどのアブラナ科の野草が咲きそろって菜の花の黄色にいろどられる。2カ月ほどの間、土手のウォーキング・コースは〈菜の花ロード〉と化す。
菜の花が大好きなので、両側に咲き競う菜の花の合間を歩くときは、恍惚といってもいいほどのハッピーな気分に浸ることができる。いわば〈幸せの黄色い道〉なのだ。
中学生になったとき、新しい友だちと一緒の帰り道に咲いていた菜の花、教科書に載っていた志賀直哉の『菜の花と小娘』……追憶に浸りながら「♪このまま死んでしまひたい」と思うほどだ。
春の到来を告げるような、みずみずしい緑の葉とあざやかな黄色の取り合わせがなんともよい。冷凍のグリーンピースとコーンをバターで炒めただけの素朴な料理が好きなのも、わたしにとってこの配色が特別のものだからかもしれない。
そう。食べるのも大好きなのだ。秋に種を庭じゅうに蒔いておくと、2月には花芽を摘めるようになり、ぽつぽつと黄色い花ものぞき始める。この花芽をさっと茹でただけのものが大好物で、出されれば「馬のように」いくらでも食べてしまう。だから「花かだんごか。咲かせるべきか、それとも食うべきか」ジレンマの季節でもある。
庭の菜の花は4月いっぱい咲き乱れて、あるじは山村暮鳥の「いちめんの菜の花いちめんの菜の花」という詩を胸に、悦に入る。やがて実を結ぶころになると、スズメやカワラヒワが穂先を揺らしながらついばむ。
ある年、土手でうまそうなところをどかっと摘んで帰って食べたが、ひどく苦かった。どうやらイヌナズナだったらしい。
──イヌナズナ
■コスモスの大群落
土手のコースは草花の道でもある。
場所によってはコースの一段下に平行している道があり、花壇がつくられている。ここではサルビア、カンナ、小菊など季節の草花を楽しめる。そばにシャベル、バケツなどの用具が備えられているから、近くの人々のボランティアなのだろう。水の便のないところだから、ここでの花づくりは容易でない。見知らぬ人々の丹精に感謝するばかりだ。
この道には分離帯があって、そこにえんえんとサツキ、ツツジなどが植えられている。こちらは市の施工によるものと思われる。変哲のないオオムラサキ、白ツツジなども、一斉に咲くと壮観である。
土手のすそに接して住宅がある場所には思い思いの〈自家用花壇〉がある。これらのお宅では前面の土手を庭代わりにしており、そこに盆栽を並べたり菜園としたり、たき火をしたりとさまざまだ。それでもやはり花壇が多く、ヒマワリ、キク、コスモスなど季節毎にいろどり豊かである。土手の中腹に彼岸花を植えている家もあって、花時には一つかみの朱色が点々とつづいて楽しませてくれる。
河川敷にはあちこちにスケールの大きな花畑がある。なかでも圧巻は広大なコスモス原。初めてこれを見つけたときはたまげたものだ。それは秋のある日、松戸に近い、海からは21・5キロの標識にさしかかったときだった。
グラウンドや草原がつづく河川敷を眺めながら歩いていくと、突如、見なれない光景が現れたのだ。一面が赤・白・ピンクの花畑! わたしは目を疑った。土手を降りていきながら、なぜか、へんぽんとひるがえる「黄色いハンカチ」を見つけた高倉健さんのような気分になったものだ。
──コスモス原
それはコスモスの大群落だった。その中に入り込むと、大小色とりどりのコスモスが背丈をこえて咲き乱れていた。野球場三つ分もある花畑が信じかねて、わたしはあるいたずらを思い起こした。それは「花咲かじいさん」ならぬ「タネまきおじさん」の話。
ひとつかみのタネを持って出かけ、ここぞと思ったところに振りまいてくる。タネはアブラナ、ジョチュウギク、ポピーなどいくらでも手に入り、細かなものがいい。公園や空き地、街路樹の根元や土手にばらまかれたタネが、やがて秘密の花園をつくる。意外なところに意外な花、その素性を知っているのは自分だけ。ときにはよそのお宅の庭にと思うが、住居侵入罪になるかもしれないので、畑の隅っこくらいにとどめる……。
そんなことをした経験があるので、一瞬わたしはこのコスモス原は誰かの痛快ないたずらかと思った。しかし、それにしてはあまりに広すぎる。結局、ボランティアの人々の丹精と知るのだが、ススキやアワダチソウが繁茂する河川敷を耕してりっぱなコスモス群落に変えるのは大変な労苦だったにちがいない。
数年前、つぼみがふくらみかけたコスモスが、台風による大水をかぶって全滅となったことがある。毎週、土手を歩いているわたしは事態を予測してがっかりしたが、新聞でも報じられたくらいだから、このコスモス原を楽しみにしている人が多かったのだろう。
タネをまくさまざまな人がいて、花を愛でる多くの人がいる。というのもまた、江戸川土手の一面である。
──土手下の花壇
堤防の巨大な土塁を風雨や地震あるいは乾燥や水の浸食から守っているのが、根を張る強靭な野草たちだ。〈自転車・歩行者専用〉コースの両縁の土止めにはふつうの高麗シバが使われているが、広大な斜面をたくましくおおっているのはつぎのような野草である。
野草ではあるが、おそらく意図的・人工的に改良されたものであろう。根が強く背丈が高いイネ科のものが多い。
チカラシバは大きな株から長い葉をたくさん出して、高さ数10センチになる。くきも根も強靭で容易に引き抜けないのでこの名がついたそうだ。秋におとなの中指ほどもある褐色のブラシ状の花穂をつける。この穂先が並んで風に揺れるさまは、やや荒涼とした風情である。
──エノコログサ
エノコログサはどこにでも見かけるタフな野草だ。夏から秋にかけて伸ばす緑色の穂が子犬の尻尾のようなのでこの名がついたが、ネコジャラシという呼び方が一般的だ。みっしり実ったこの穂が伸びそろうと、無数の槍が林立するさまに似るから、それを左右に見て歩くと軍隊を閲兵する皇帝の気分になる。これの小型で穂が黄金色に見えるのがキンエノコロだ。
カモジグサも丈が一メートル近くになるイネ科の多年草だ。すいすいと伸びたくきの先につける小穂は実ったイネのように頭をたれる。
カモジグサによく似ているイヌムギとカラスムギもイネ科で草丈が高くなる。カラスムギは牧草でもあり、通常はひざくらいの丈になると除草機で刈られてしまうが、すぐまた伸びる成長力がある。いずれもイネのような穂をたれる。
──カラスムギ
イヌビエも同じようなものだが、褐色の穂先はヒエに似ている。だいたい、イヌなんとか、カラスなんとかというのは、ヒエとかムギといっても人間の食用にはならない雑草である。
子どものころチカラ草、すもう草と呼んでいたのはオヒシバ、メヒシバだ。〈雑草の大関格〉といえるほど繁殖力が強く、空き地や原っぱなどどこにでも繁茂する。丈はひざ上くらいで、初秋に傘の骨状の穂を伸ばす。これを手に持って引っぱりっこして、ち切れたほうが負けという遊びをした。
カヤツリグサでも遊んだ記憶がある。夏のころにつける黄褐色の穂が線香花火の火花に似た形で、このくきを裂くと蚊帳を吊ったような四角がつくれる。かつて野草は子どもたちにとっていい遊び道具だったわけだ。
若葉を摘んで草もちにしたモチグサはキク科のヨモギのこと。秋には高さ1メートル近くなって黄緑色の細かな花が咲く。
花も葉もヨモギによく似ているブタクサも繁殖力がつよく、どこにでもある。秋にかけて花粉を多くとばしてきらわれる公害雑草だ。
夏に繁茂するカナムグラはクワ科の一年草だが、とげのあるつる性植物でふれると痛い。何にでもからみつき巻き付いて伸びるので草原のギャングみたいだ。わたしはスギとヒノキのほかにヨモギ・ブタクサ・カナムグラにもアレルギー反応があるので、初秋のウォーキングは、くしゃみ頻発、鼻水ぐしゅぐしゅのていとなる。
アレチノギク、オオアレチノギクは南米原産の越年草で、夏から秋にかけて白い小さな花をたくさんつける。
土手には以上のような野草が土くれも見えないほどにひしめいて、季節毎に攻防盛衰をくり返している。そして堤防という構造物はこれらの生命力にとんだ草たちによって守られているのだ。
──しの竹のやぶ
■秋・冬の野草
秋の土手にはヒガンバナ、別名マンジュシャゲが咲く。お彼岸のころ長いくきの先にひらく赤い花は、土手のコースを照らすかがり火のようだ。以前はそのあやしい色と形は、根元に死者が埋まっているようで気味がわるかったものだ。しかし、田んぼのあぜ道や土手に群生するのを見るうちに、この風情が初秋のいなかの景色に欠かせないものに思えるようになった。雰囲気がいいのか、語感のゆえか、それとも字面が好まれるのか、曼珠沙華は俳句に詠まれることが多い。
──彼岸花
このあざやかな花が終われば、土手は野草ばかりとなる。前述の土手の守備隊以外でおなじみの野草を紹介すると——。
子どものころアカマンマと呼んでいた草がある。タデ科で丈50センチほど、細いくきの先につける紅紫のこまかい花穂が小粒の赤飯に似ているのでままごとに使った。この仲間は多く、春にはハルタデ、初夏からはサナエタデ、イヌタデ、秋になるとハナタデ、ボントクタデなどが入れ替わりで花穂をゆらしている。図鑑を見ると、その昔のアカマンマとは紅色が濃いイヌタデのようだ。
──赤マンマと野紺菊
初秋にキクに似た薄紫の小さな花をたくさんつけるのはヨメナかノコンギクか。よく似ているので区別がつかないが、秋の草原では目立つ素朴な美しさがある。
秋に土手下の草原を歩くと、青紫のひときわ清楚なリンドウを見つけられる。これは野生種で、ふだん見る園芸種にくらべるとくきが細く、花色が淡い。
イヌノホオズキとワルナスビはナス科で互いによく似ている。夏に薄紫の花が咲き、そのあとに小さな実をつける。
オオバコは道ばたに広がる野草で土手のコースの足元にも多い。〈雑草の王様〉といえるほどバイタリティにとみ、踏みつけられたり砂利でつぶされるような逆境でもしぶとく繁茂する。薬草に利用されるというが、食糧難時代にこれを食べた記憶がある。先日のテレビで、脱北者の少女が「これ食べられるのよ」と示していたのがこのオオバコ。わたしは突如として半世紀も昔のことを思い出しながら腕を振って歩く──みそで味付けしたその味がたちまち口中に蘇る味覚の記憶のふしぎさに、心はしばし遠くへ行ってしまう。
なお、ここだけの話だが40キロ地点の野田橋を越えるとオオバコはほとんど見られなくなり、代わりに葉が細長く花茎を長くのばすヘラオオバコが幅をきかすようになる。
シロザはどこにも見かける雑草だ。若葉はかわいいが、秋に1メートルにもなるとおよそ風情がない。
タケニグサはケシ科で背丈ほどに伸びる。夏、先端にぽそぽそした白花をつけるが、これも見た目が大味な植物だ。
子どものころ、首飾りにしたりお手玉の中に入れたりしたジュズダマもある。よく繁るイネ科で、これも郷愁をさそう植物だ。
つる性のヤブガラシは周囲の植物を駆逐するほどのたくましさがあるが、それゆえに嫌われ者でもある。もっともブドウ科だから、ぽそぽそした花のあとにつける実は小鳥が好みそうだ。
──クズの花
さらにバイタリティがすごいのはマメ科のクズだろう。土手だろうが空き地だろうが、数年放置された土地にはびこるのはススキかクズだ。ところかまわず伸ばす太いつるは強靭でロープの代わりになるので、古来、生活用材に利用されてきた。猛々しい植物だが、紅紫の花はよく見るとけっこう美しく、この根からはでんぷん質の葛粉がとれる。
──アザミ
■除草と焼却
土手の草はこまめに刈られて、つねにこざっぱりしている。だから、けっして草ぼうぼうという状態にはならないし、コースを歩くかぎり草露で足をぬらすこともない。それだけ県当局がメンテナンスに費用をかけているわけだが、利用者にとってはありがたいことだ。
土手の除草作業は、真冬期をのぞいてほとんど通年実施している。ほぼ2、3カ月に1回だからかなりのハイピッチであり、作業量である。土手の両側に広がる法(のり)面は幅が数十メートルもあり、それが50キロもつづくのだから業務量も相当なものだ。
年最初の除草は3月に行われる。厳冬にもめげないたくましい野草が多いから、お彼岸のころにはさまざまな草が伸びて春の花をつける。思わずキツネアザミやホトケノザなど採りだすと止まらない。ハルジオン、カラスノエンドウと、たちまち野趣いっぱいの花束ができて、ウォーキング変じて野草摘みになる。
はじめはちょっと人目を気にしたものだが、何のことはない。追いかけるように除草作業車が迫ってきて、すべての草は数センチほどに刈り込まれて土手は五分刈りの坊主頭みたいになってしまった。
──除草開始
五月下旬には、地域の恒例となっている〈クリーン大作戦〉という行事がある。盛夏に向かって、みんなで街路などをきれいにしましょうというもの。これに合わせて、土手でもまた早くも腰高まで生い茂った雑草を刈る。こざっぱりしてみると、草陰にかくれていたごみクズなどもあらわれて、ボランティアの人々が大きな袋を持って拾い集める。
最近、草刈り機が入った後、意図的に刈り残される区域がある。サッパリした土手に、長さ50メートルほどの草ぼうぼうが帯状に残っているのは奇妙な光景だ。周囲にはロープが張りめぐらしてあり、刈り残しの弁解よろしく「イネ科花粉症対策植生試験区間」という看板が添えられている。現代人がひ弱くなったせいか、それとも医学の成果か、近年たしかにネズミホソムギなどイネ科の植物による花粉アレルギーに悩む人がふえている。土手の草原がその対策研究に一役買ったということなのだろう。
除草作業はブルドーザーのような車で行うから、まるで土木工事だ。斜面をはうように刈り進んでいくのは相当の危険を伴うし、作業は熟練を要する。人影もない土手で一日中稼働して、こなせるのはせいぜい2キロメートルほどだろう。そうして少しずつ移動して一応終わるころには、もう始めの場所の草はかなり伸びている。すなわちこの作業はエンドレスに見える。請け負っている業者から見れば、一年中仕事が切れないありがたい商売であろう。
作業のあと間もなく歩くと、青草の香りがする。緑の土手は坊主刈りのように変わり、カラス、スズメ、ムクドリ、ハトなどが群がっている。草陰にいた昆虫やミミズなどがあらわになって、豪勢なバイキング食大会をやっているのだ。
それから数日たつと、干し草独特のかぐわしい匂いに変わる。刈り取った草は数メートルおきにまとめられて小さな山を築く。それが乾ききると焼却する。焼いたあとの黒い灰が点々とあるいは帯状につづいて、広い土手にお灸をすえたように見える。この灰が雨に流されるころには洋芝がどんどん伸びている。
わたしはときどき(あの除草作業をして働きたいなあ)と思う。寒かったり、暑かったり大変だろうが、こんなに大きな景色の中で一人で作業を采配して、草の匂いをいっぱい吸って、世間の人に感謝されて……。
──刈草のロール
実際、感謝している。この道を専用コースのように使え、自然を満喫し、いつも整備してきれいに保ってくれる。だから、ふと天皇か将軍になったような気分になる。順路に玉砂利をしき、水を打ってわたしの「おなり」を待ってくれているようで「すまないのお、そこまでしてもらって……」と思うのだ。
■幸せの黄色い〈菜の花ロード〉
春の土手は、寒い間こらえていたスカシタゴボウ、イヌガラシなどのアブラナ科の野草が咲きそろって菜の花の黄色にいろどられる。2カ月ほどの間、土手のウォーキング・コースは〈菜の花ロード〉と化す。
菜の花が大好きなので、両側に咲き競う菜の花の合間を歩くときは、恍惚といってもいいほどのハッピーな気分に浸ることができる。いわば〈幸せの黄色い道〉なのだ。
中学生になったとき、新しい友だちと一緒の帰り道に咲いていた菜の花、教科書に載っていた志賀直哉の『菜の花と小娘』……追憶に浸りながら「♪このまま死んでしまひたい」と思うほどだ。
春の到来を告げるような、みずみずしい緑の葉とあざやかな黄色の取り合わせがなんともよい。冷凍のグリーンピースとコーンをバターで炒めただけの素朴な料理が好きなのも、わたしにとってこの配色が特別のものだからかもしれない。
そう。食べるのも大好きなのだ。秋に種を庭じゅうに蒔いておくと、2月には花芽を摘めるようになり、ぽつぽつと黄色い花ものぞき始める。この花芽をさっと茹でただけのものが大好物で、出されれば「馬のように」いくらでも食べてしまう。だから「花かだんごか。咲かせるべきか、それとも食うべきか」ジレンマの季節でもある。
庭の菜の花は4月いっぱい咲き乱れて、あるじは山村暮鳥の「いちめんの菜の花いちめんの菜の花」という詩を胸に、悦に入る。やがて実を結ぶころになると、スズメやカワラヒワが穂先を揺らしながらついばむ。
ある年、土手でうまそうなところをどかっと摘んで帰って食べたが、ひどく苦かった。どうやらイヌナズナだったらしい。
──イヌナズナ
■コスモスの大群落
土手のコースは草花の道でもある。
場所によってはコースの一段下に平行している道があり、花壇がつくられている。ここではサルビア、カンナ、小菊など季節の草花を楽しめる。そばにシャベル、バケツなどの用具が備えられているから、近くの人々のボランティアなのだろう。水の便のないところだから、ここでの花づくりは容易でない。見知らぬ人々の丹精に感謝するばかりだ。
この道には分離帯があって、そこにえんえんとサツキ、ツツジなどが植えられている。こちらは市の施工によるものと思われる。変哲のないオオムラサキ、白ツツジなども、一斉に咲くと壮観である。
土手のすそに接して住宅がある場所には思い思いの〈自家用花壇〉がある。これらのお宅では前面の土手を庭代わりにしており、そこに盆栽を並べたり菜園としたり、たき火をしたりとさまざまだ。それでもやはり花壇が多く、ヒマワリ、キク、コスモスなど季節毎にいろどり豊かである。土手の中腹に彼岸花を植えている家もあって、花時には一つかみの朱色が点々とつづいて楽しませてくれる。
河川敷にはあちこちにスケールの大きな花畑がある。なかでも圧巻は広大なコスモス原。初めてこれを見つけたときはたまげたものだ。それは秋のある日、松戸に近い、海からは21・5キロの標識にさしかかったときだった。
グラウンドや草原がつづく河川敷を眺めながら歩いていくと、突如、見なれない光景が現れたのだ。一面が赤・白・ピンクの花畑! わたしは目を疑った。土手を降りていきながら、なぜか、へんぽんとひるがえる「黄色いハンカチ」を見つけた高倉健さんのような気分になったものだ。
──コスモス原
それはコスモスの大群落だった。その中に入り込むと、大小色とりどりのコスモスが背丈をこえて咲き乱れていた。野球場三つ分もある花畑が信じかねて、わたしはあるいたずらを思い起こした。それは「花咲かじいさん」ならぬ「タネまきおじさん」の話。
ひとつかみのタネを持って出かけ、ここぞと思ったところに振りまいてくる。タネはアブラナ、ジョチュウギク、ポピーなどいくらでも手に入り、細かなものがいい。公園や空き地、街路樹の根元や土手にばらまかれたタネが、やがて秘密の花園をつくる。意外なところに意外な花、その素性を知っているのは自分だけ。ときにはよそのお宅の庭にと思うが、住居侵入罪になるかもしれないので、畑の隅っこくらいにとどめる……。
そんなことをした経験があるので、一瞬わたしはこのコスモス原は誰かの痛快ないたずらかと思った。しかし、それにしてはあまりに広すぎる。結局、ボランティアの人々の丹精と知るのだが、ススキやアワダチソウが繁茂する河川敷を耕してりっぱなコスモス群落に変えるのは大変な労苦だったにちがいない。
数年前、つぼみがふくらみかけたコスモスが、台風による大水をかぶって全滅となったことがある。毎週、土手を歩いているわたしは事態を予測してがっかりしたが、新聞でも報じられたくらいだから、このコスモス原を楽しみにしている人が多かったのだろう。
タネをまくさまざまな人がいて、花を愛でる多くの人がいる。というのもまた、江戸川土手の一面である。
──土手下の花壇
by knaito57
| 2005-04-23 22:22
| 植物の時間(2)
|
Trackback
|
Comments(0)