2005年 05月 04日
7 保健体育の時間 |
■10年がかりの自己改造
会社を定年退職した現在のわたしは、気がつけばちょっとしたスポーツマンだといえる。クラブでは週2日のマシン・トレーニング、土手のウォーキングは週平均20キロメートルほどしている。その結果、定年サラリーマンにしては、体力だけはばかに充実している。
もともとスポーツには無縁であった。ご多分にもれず、学生時代は懶惰な生活をつづけて健康の基礎をいちじるしく損ねてしまった。社会人となって否応なしに規則正しい生活習慣が身についたものの、体力的には年を追って劣化していった。
50歳に近づくと腰痛を起こすようになった。ちょっとしたことで息切れするなど、スタミナ不足を実感することも多くなった。ふろから出た後、腹に二筋の白い線を見つけたときは本当にショックだった。
そのころ、通勤時に何げなく受け取った一枚のチラシが、フィットネス・クラブの開業案内だった。率直なところ、体重減と運動不足の解消のために、わざわざ時間とお金をかけるなどという気持ちはまるでなかった。それが気まぐれでメンバーになったのは、当時どうしようもない閉塞状況にあって(なにか変わったことをして現状打破したい)という意識からだった。それが中年からのスポーツとの出会いで、ぼちぼちと筋力トレーニングを始めることになった。
それから数年。いつしか身体がひきしまって腰痛が消えた。体力に自信がつき、気軽に身体を動かす生活習慣が身についた。
ところが期待に反して、体重は減るどころか着実にふえていく。もともとの目的が〈見苦しい中年〉になりたくない一心だったのだから思案した。そして筋力アップに一区切りついたのを機に、トレーニング・メニューに有酸素運動を取り入れた。すなわちマシン相手に歩いたり、ペダルを踏んだりして体脂肪の燃焼に心がけたのだ。
──土手を行く
そういう準備段階をへて、ロードを歩くようになって10年たつ。体重減という目標達成はいま一息だが、ウォーキングの効果は顕著なものがある。まず腰回りがすっきりして、脚の筋肉がひきしまった。階段や長いエスカレーターで動悸がすることもなく、脚力に自信がついた。近年流行の体脂肪計に乗ると、身体の中に起こっている変化がよくわかる。健康診断によるさまざまな数値にも明らかな改善が見られる。
じつをいえば、子どものころのわたしは健康優良児だった。食糧難時代に母子家庭で育ったにもかかわらず、学年でも指折りの体格であり、格闘ごっこをやれば誰にも負けなかった。それが中学生になるや文学少年づいて、せっせと健康をこわすような生活をしたように思う。
そのことがどんなに親不孝でばちあたりなことだったかをようやく知るのは、自分の息子たちが年ごろになってからだ。
わたしは思いつきでスポーツをやるようになってすぐに、自分が親からすぐれた身体をもらっていたことに気づいた。30年以上に及ぶスポーツ的空白を埋め、ゆるんだ肉体を改造するのに1年とはかからなかったのだ。
今やスポーツは、とくにウォーキングはわたしの生活に欠かせないものになっている。それを生活習慣として勢いづいたわたしは、ひそかに「60歳の定年時に生涯最高の体力を維持していること」という目標を掲げ、現実にそれを達成した。
──濃霧もものかは
■人間行動の基本は〈歩く〉こと
ヒトは二本脚で立つようになって以来、歩くことがその活動の基本であった。
近年、相次いで発掘される遺跡の出土品からは、古代人たちの驚くほど広い行動範囲を知ることができる。『万葉集』の東歌にも当時の日本人の地域交流の活発さがうかがえる。源義経の奥州平泉への逃避行も弥次さん喜多さんの道中も、すべて〈歩き〉だった。貴人をふくめて移動に乗り物を用いるようになったのは、ずっと後世のことなのだ。
明治から大正へ、東京に電車が登場してからも〈歩く〉ことはまだ主要な交通手段だった。わたしの祖父や、当時近所に住んでいた石川啄木は小石川から銀座・有楽町まで歩いて通っていた。
わたしの世代には、「子どものころはじつによく歩いた」と語る人が少なくない。小学校は片道1時間の通学だったとか、里帰りしたときタクシー代がないので荷物をいっぱい持って田舎道を歩いたとか、誰かがそんなことを話すと異口同音に体験談がつづく。かつてはみんな大して苦にもせず、当然のように歩いたものなのだ。
外国だって同じこと。いつの時代でも、難民たちは徒歩で国境を越えた。昔、エジプトを脱出したユダヤ人はエルサレムへと砂漠を歩きつづけた。今日でも聖地をめざす人々はひたすら歩く。人間は基本的かつ最後の手段として脚力に頼ってきただけでなく、歩くことは敬虔な行為でもあったのだ。
──ジョギング
今日、若者は近くのコンビニエンスストアに行くにも、ビデオを借りるだけにでもマイカーを使う。これをもったいない、けしからんと決めつけては、世代間のコミュニケーションが成立しないばかりか、思わぬ反駁にあうだろう。しかし、わたしは素朴に思うのだ。〈歩く〉ことの効用と価値を忘れた人間は不遜であり、着実に滅亡へと向かっている——と。
日本人がこれほどまでに歩かなくなったのは車社会の到来以来だから、ここ30年ほどのことだ。300万年の歩きの歴史が、ここにきて一気に途絶えることになったわけだ。今では人々はあらゆる乗り物を利用し、乗ったら目の色を変えて腰かけようとする。一方では飽食とグルメ。日常的に摂取量よりも消費量が少ないというカロリーの輸入超過……その結果、肥満と虚弱人間ばかりがふえることになった。
だからといって、鉄道や飛行機を否定するようなムチャを言うつもりはない。ぐっと控えめに「自動車の利用についてもう少し賢くならないと、環境やエネルギー、交通事故や経済的な問題よりももっと確実で深刻な体力の劣化というマイナスを招くことを知るべきですよ」と言いたいのだ。
医学の祖といわれるヒポクラテスは「歩くことは人間にとって最良の薬」と喝破している。そのとおりには違いないが、〈薬〉などと言うこともない。単純な話、それは人間の活動の原点なのだから。
──プロですねえ
■「みんなで歩こう」ではなく
思わず演説をぶってしまったが、世の中には賢明な人が多く、すでに全国規模での〈歩く運動〉が多様に展開されている。歩くことの愛好者がそれだけ多いわけで、結構なことである。
たとえば日本歩け歩け協会が主催する「日本スリーデーマーチ」は年々盛況で、各国の市民スポーツ運動と連携して世界的な広がりになっている。各地でひんぱんに開催されるイベントには数万人の人々が参加、ひょっとして21世紀は車にとって代わって「歩く人間の時代」になるかもとさえ思われる勢いだ。
97年10月の第1回世界ウォーキング・フェスティバルでは「歩けは地球を救う! 輝かしい21世紀への道」をテーマに、各国のリーダーによる意見交換が行われた。環境問題と健康志向がムリなく結びついて、歩き屋にとっては心強いかぎりである。
先日は「青梅街道43㎞飲まず食わずウォーキング」とかが開催された。8時出発で夕方6時半までにゴールというのだから、脚に覚えのある人なら完走(歩)できるだろう。「飲まず食わず」にどういう意図があるのかとも思うが、災害などの非常時を想定したものならそれなりに意味があるかしれない。
しかし、じつをいうとわたしはこういう行事に参加する意思はまったくない。なんとか運動とか、かんとかの会というのが好きでないし、集団で何かをしたり行列をつくったりするのがきらいなタチなのだ。
これまで述べてきたように、わたしはただ、みっともない中年になりたくないという動機で歩き始め、近くにたまたま土手のコースがあったのだ。そして歩き始めたら、景色やヒトや動植物など興味の対象がたくさんあり、充実した内省の時間を発見したりでまことに楽しく忙しい。もしもぞろぞろと行列をなして行くウォーキングだったら、時速6キロの正確なラップで歩くこともできないし、わたしのウォーキングの楽しみのほとんどはなくなってしまうだろう。なんとも意識が低く個人主義でおそれいるが、わたしは歩くことをきわめて個人的な活動だと考えているのだ。
──ラジオ体操?
■どこを歩くか、それが問題だ
ウォーキングはマラソンやジョギングほど激しい運動ではないから、いつでもどこでも気軽に無理なくできる。スポーツの経験がなくても歩けるし、健康意識の高い今日ではたいていの人が歩くことの効果を知っている。とはいっても、本格的なウォーキングを始めようとするとネックは意外に多く、実際に継続する人は案外に少ない。
さしあたり、どこを歩くかというコースの問題がなかなかむずかしい。住宅街の近くには気軽に長い距離を歩ける道路がないのが実情だからだ。
散歩ではなくスポーツとして歩くには、時速6キロ前後のスピードで歩きたい。これは朝、駅に急ぐ人の歩調よりも速いから、これを住宅地の道路でやろうとすると車やヒトに接触したり、出会い頭の衝突を起こしかねない。それに横断歩道や信号にひっかかってスムースにいかず、しょっちゅう立ち止まらなければならない。
空気もポイントになる。自動車の排気ガスの中を歩くのでは、せっかく運動をしても汚れた空気で深呼吸することになって逆効果だ。
世間体ということもある。たとえウォーキングの人とわかる服装をしていても、大手を振って速歩する姿はちょっとかっこ悪い。場所を得ないと不審な人物に見られかねない。暗くなってから住宅地を数人連れで歩く女性をよく見かけるのは、こんな事情もあるのだろう。
願わくは、一定のピッチで速歩をつづけられるコースがいい。曲がり角や坂が少なく、1時間くらいは直進できる道が望ましい。安全性はもちろんだが、欲をいえば殺風景でない景観も欲しい……。
こんなことを言い出したら、都市生活者には気軽に歩ける好適なコースなどほとんどないことになる。だから市や「歩け歩け協会」のイベントに参加するしかないのだろう。そう考えれば江戸川土手のコースを歩けるわたしは大変めぐまれているわけで、〈自転車・歩行者専用〉道愛用者として県当局にお礼の言葉もないほどなのだ。
──ローラースケートも
■マシンとロードの違い
前にのべたように、わたしは土手のコースに出る以前はスポーツクラブの室内でマシンの上を歩いていた。それで、室内とロードの違いや長所短所についてつぎのように考えている。
歩行用マシンは回転するベルトの上を歩くしくみになっている。スピードや傾斜角度の調整は自由自在、歩行距離や心拍数・その時点で消費したカロリー数値などがすぐわかる。さらには、いくらコンピュータ制御といってもマシンはしょせん機械だから、こちらの無意識なペースダウンにはお構いなく設定どうりに動く。だから、否応なしにペースを守ることになる。
このトレーニングによってわたしは自分のウォーキングのペースを体得した。すなわち時速6・5キロ、傾斜2度で1時間歩くと410キロカロリーを消費する。時速6キロにして平坦だと340キロカロリーだが、このペースなら2時間はいけるという感触をつかんだのだ。
マシン・トレーニングの最大の問題点は退屈なことだ。ひま人でもない身で1時間も機械の相手をするのは、心の所在なさをもてあます苦行に近い。そこで懸案の考えごとをしたり、窓越しに外をながめたり、うろ覚えの英会話フレーズをつぶやいて紛らそうとするが、いつの間にかあと何分というマシンの表示をひたすらにらんでいる。ペダル踏みマシンも似たようなもので、こちらは雑誌を見ながらやっている人も多い。まあ、便利ではあるが、持続するには難のある道具といえよう。
その点、るる述べてきたように土手のコースはいくら歩いても退屈することがない。初めてロードに出るときは、温室から荒野に出るような不安を覚えたものだが、文字どおり外気にふれることは刺激と変化にとんでいる。同じコースでも歩くたびに発見があり、つねにある種の緊張感を維持していることになる。
早い話が、ロードコースはマシンのベルトほど足にやさしくない。当初は底のうすいシューズででこぼこ道を歩いて、足の裏の皮がべろっとはがれてしまったこともある。途中で雨が降らないか、陽射しや風が強すぎないか。水分の補給やトイレの配慮、体調が悪くなったらどうするか……そういうことへの備えをちゃんとやれなくては、単独で長時間を歩くことはできない。たかが〈歩き〉ではあるが、自分の力量を知って自身のマネジメントをできるだけの自立心が必要なのだ。
──まずは屈伸運動
■ウォーキングのペース
現在のところ、わたしは時速6キロで歩いている。ピッチは毎分120〜130歩、歩幅は80センチ。10分間にちょうど1キロのペースで2、3時間歩く。土手のコースには0・5キロごとに標識があるから、これを目印にすれば時計がなくても速度・距離・現在時刻が正確にわかる。
ウォーキングはその人の身体的条件と目的によってメニューが異なる。すなわち、現在のわたしに最適のメニューであるこの数字にはつぎのような意味がある。
有酸素運動によって体重を落とすには時間をかけて継続して歩くことがポイントになる。体脂肪は歩き始めて2、30分後から燃焼を始めるからだ。したがって疲れないで持続できる自分に合った速度と、カロリー消費の効果があがる速度のかねあいがポイントになる。
だから、スタートしてしばらくはエンジンの予熱時間だと考えている。最初の30分が過ぎると身体のどこかでパチンと燃焼開始のスイッチが入る気がして、それからがウォーキング本番なのだ。しかも脂肪は休み休みの歩きでは燃焼しない。ゴルフで長時間歩いても燃焼効果がないのはそういう理由だという。それらを考慮して、ムリのないペースで継続的に長時間歩けるメニューがこれなのだ。
ウォーキングの場合、一般に歩幅は身長マイナス100といわれる。これに照らすとわたしの歩幅80センチは、ちょっと背伸び気味だといえる。余談ながら、小学校時代のわたしは座高の高いのが自慢だった。当時は気づかなかったが、身長では並のわたしの場合、悲しいかなそれは胴長短足ということにほかならない。それでいて1000メートルを1240歩で歩くのだから、速度が歩幅をカバーし、脂肪の燃焼を促進しているわけだ。(それにしても、昔の小学校ではなんのために座高なんて計ったのだろう)
──鉄亜鈴ウォーキング
なにごとにつけても、人間は明確な目標・目安がないと、がんばる意欲がわかず成果もあがらないものだ。ウエート・トレーニングでもマンネリでやっていると、何年たっても進歩がない。そこで遅まきながら毎年20ポンドずつアップする計画をたてたら、着実に実力が上昇した経験がある。
当面、わたしの体力アップ・自己改造の目標は、始めに述べたように以下の数字である。くり返せば、定年のそのとき——
(1)42㎞を7時間で歩けること
(2)体重を70㎏におとすこと
(3)ベンチプレス100㎏を維持する
第一の目標の根拠は、もちろんマラソンの距離だ。世界のトップランナーは2時間そこそこで走るが、並の選手ならもう30分は余計かかる。その3倍の時間で〈激歩〉してやろうというのだ。
わたしは自動車ぎらいで運転免許も持たない〈人力尊重主義者〉だから、それなりにいざというとき頼れる体力を持とうと考えた。その、足の部の目標が(1)で、手のほう(3)というわけだ。
この目標については、まだ達成半ばである。21キロを3時間半でクリアしたことはあるが、あとペースが落ちて時速6キロを維持することができないのが現状だ。
しかし、あせることはない。落としたとはいえ、わたしはまだ標準体重を5キロほどオーバーしている。ということは持ち前の心肺機能や筋力に見合う以上の余分な荷物を持って歩いているようなものだ。体脂肪をエネルギーに変える消費カロリーの量は、この重荷分だけ促進される。つまり、せっせと歩いていれば筋肉が発達する反面で体重が落ちて、(2)と(1)が同時に達成できると楽観している。
──若いもんにゃ
■ウォーキングの速度
ウォーキングによる消費カロリーは、速度×時間すなわち距離に比例する。だから体重減が目的なら、より速く長時間つづけて長距離を歩くほどいい。
いうまでもなく自動車の経済速度は、最もエネルギー消費が少なく効率的に距離を走れるスピードだ。人間ならその人がふつうに歩く速度が経済速度で、これなら誰でもかなり長時間を歩きつづけることができる。ふつう、それは時速4〜4・5キロだが、これではカロリーの消費がはかどらない。
マシンと違って生身の人間はスタミナに限界があるから、オーバーペースで歩けば長時間は保たない。この場合、速度は歩行時間に反比例する。したがって減量効果を考えるならぶらぶら歩きでなく、ある程度の速度でしかも長時間歩く必要があるのだ。
わたしでいえば、時速7キロにして角度1度なら1時間で450キロカロリーを消費できるのだが、これだと1時間つづけるのがやっとだ。それが先のメニューの理由である。
ところで、他人様のウォーキング速度はどんなものだろうか。
戦国時代、軍団の移動スピードは日に約20〜25キロとして作戦がたてられていた。ところが、なんと80キロという常識破りの行軍速度で敵の意表をついて勝利した例がある。本能寺の変の際の秀吉の〈中国返し〉だ。その陰にはさまざまな備えがあったにせよ、不可能を可能にした要因は兵の脚力だろう。
泰平の江戸時代でも「十里歩けて一人前」といわれた。当時の一里は現在の六分の一の650メートルほどだが、もちろん道は舗装されていないし山道さえある。旅に出れば朝、宿をたつと日のあるあいだは歩きつづけるのだから、荷物を背に7キロくらい歩けないようではものの役に立たない。それどころか、途中でダウンしたら山中で追い剥ぎにあうのだから、健脚はエコノミーであるだけでなく生命を守るものでさえあった。
松尾芭蕉は健脚で、句をひねりながら一日約20キロ歩いた。伊賀忍者はじつに一日160キロ移動したというから、伊賀出身の〈芭蕉忍者説〉はそんなところから出たのかしれない。
四国お遍路ではふつう50日で八十八ヶ所の霊場をまわるという。その全長は約1400キロだから、1日平均28キロ歩くわけだ。経験者が異口同音に「歩くことの意味の発見」を語るのを聞くと、お遍路の真実は歩くことにあるらしい。とすれば、飛行機を利用して3日くらいでまわれる〈新商品〉などはいかがなものか。ましてケータイ電話をぶら下げた変な巡礼者がふえたと聞くと、肝心のプロセスをないがしろにした参拝行脚は御利益がうすいのではないかと思わざるをえない。
競歩の選手は時速13〜14キロという驚異のスピードを持続する。これはもう忍者並み、アマチュアのマラソンランナーの速度だ。
不動産広告の「駅から10分」というのは、800メートルを標準としているといわれる。時速4・8キロだから妥当なところだが、時速6キロのスポーツマンタイプの業者だと1166メートルとなる。わたしはこういう健脚の不動産業者のお世話にはなりたくない。
ついでながら、駅ビルなどにある〈動く歩道〉の時速は1・8キロだそうだ。せっかち人間や歩きに自信のある人が、まどろっこしくてこの上を歩き出すのもムリはない。
そんなわけで、時速6キロの持続力に自信を得たわたしは、いつの間にか距離を時速で割り算するくせがついた。浜松なら「290÷6=48」、青森なら「720÷6=120」という具合。すなわち浜松なら48時間、青森なら120時間歩けば行けるという計算だ。古代ローマ軍の場合、時速5キロで1日に25〜30キロを進軍できた。すなわち将軍は「兵を派遣する土地までの距離÷25(30)」で、到着までの日数を算出した。これと同じ思考法である。
──なお楽し
会社を定年退職した現在のわたしは、気がつけばちょっとしたスポーツマンだといえる。クラブでは週2日のマシン・トレーニング、土手のウォーキングは週平均20キロメートルほどしている。その結果、定年サラリーマンにしては、体力だけはばかに充実している。
もともとスポーツには無縁であった。ご多分にもれず、学生時代は懶惰な生活をつづけて健康の基礎をいちじるしく損ねてしまった。社会人となって否応なしに規則正しい生活習慣が身についたものの、体力的には年を追って劣化していった。
50歳に近づくと腰痛を起こすようになった。ちょっとしたことで息切れするなど、スタミナ不足を実感することも多くなった。ふろから出た後、腹に二筋の白い線を見つけたときは本当にショックだった。
そのころ、通勤時に何げなく受け取った一枚のチラシが、フィットネス・クラブの開業案内だった。率直なところ、体重減と運動不足の解消のために、わざわざ時間とお金をかけるなどという気持ちはまるでなかった。それが気まぐれでメンバーになったのは、当時どうしようもない閉塞状況にあって(なにか変わったことをして現状打破したい)という意識からだった。それが中年からのスポーツとの出会いで、ぼちぼちと筋力トレーニングを始めることになった。
それから数年。いつしか身体がひきしまって腰痛が消えた。体力に自信がつき、気軽に身体を動かす生活習慣が身についた。
ところが期待に反して、体重は減るどころか着実にふえていく。もともとの目的が〈見苦しい中年〉になりたくない一心だったのだから思案した。そして筋力アップに一区切りついたのを機に、トレーニング・メニューに有酸素運動を取り入れた。すなわちマシン相手に歩いたり、ペダルを踏んだりして体脂肪の燃焼に心がけたのだ。
──土手を行く
そういう準備段階をへて、ロードを歩くようになって10年たつ。体重減という目標達成はいま一息だが、ウォーキングの効果は顕著なものがある。まず腰回りがすっきりして、脚の筋肉がひきしまった。階段や長いエスカレーターで動悸がすることもなく、脚力に自信がついた。近年流行の体脂肪計に乗ると、身体の中に起こっている変化がよくわかる。健康診断によるさまざまな数値にも明らかな改善が見られる。
じつをいえば、子どものころのわたしは健康優良児だった。食糧難時代に母子家庭で育ったにもかかわらず、学年でも指折りの体格であり、格闘ごっこをやれば誰にも負けなかった。それが中学生になるや文学少年づいて、せっせと健康をこわすような生活をしたように思う。
そのことがどんなに親不孝でばちあたりなことだったかをようやく知るのは、自分の息子たちが年ごろになってからだ。
わたしは思いつきでスポーツをやるようになってすぐに、自分が親からすぐれた身体をもらっていたことに気づいた。30年以上に及ぶスポーツ的空白を埋め、ゆるんだ肉体を改造するのに1年とはかからなかったのだ。
今やスポーツは、とくにウォーキングはわたしの生活に欠かせないものになっている。それを生活習慣として勢いづいたわたしは、ひそかに「60歳の定年時に生涯最高の体力を維持していること」という目標を掲げ、現実にそれを達成した。
──濃霧もものかは
■人間行動の基本は〈歩く〉こと
ヒトは二本脚で立つようになって以来、歩くことがその活動の基本であった。
近年、相次いで発掘される遺跡の出土品からは、古代人たちの驚くほど広い行動範囲を知ることができる。『万葉集』の東歌にも当時の日本人の地域交流の活発さがうかがえる。源義経の奥州平泉への逃避行も弥次さん喜多さんの道中も、すべて〈歩き〉だった。貴人をふくめて移動に乗り物を用いるようになったのは、ずっと後世のことなのだ。
明治から大正へ、東京に電車が登場してからも〈歩く〉ことはまだ主要な交通手段だった。わたしの祖父や、当時近所に住んでいた石川啄木は小石川から銀座・有楽町まで歩いて通っていた。
わたしの世代には、「子どものころはじつによく歩いた」と語る人が少なくない。小学校は片道1時間の通学だったとか、里帰りしたときタクシー代がないので荷物をいっぱい持って田舎道を歩いたとか、誰かがそんなことを話すと異口同音に体験談がつづく。かつてはみんな大して苦にもせず、当然のように歩いたものなのだ。
外国だって同じこと。いつの時代でも、難民たちは徒歩で国境を越えた。昔、エジプトを脱出したユダヤ人はエルサレムへと砂漠を歩きつづけた。今日でも聖地をめざす人々はひたすら歩く。人間は基本的かつ最後の手段として脚力に頼ってきただけでなく、歩くことは敬虔な行為でもあったのだ。
──ジョギング
今日、若者は近くのコンビニエンスストアに行くにも、ビデオを借りるだけにでもマイカーを使う。これをもったいない、けしからんと決めつけては、世代間のコミュニケーションが成立しないばかりか、思わぬ反駁にあうだろう。しかし、わたしは素朴に思うのだ。〈歩く〉ことの効用と価値を忘れた人間は不遜であり、着実に滅亡へと向かっている——と。
日本人がこれほどまでに歩かなくなったのは車社会の到来以来だから、ここ30年ほどのことだ。300万年の歩きの歴史が、ここにきて一気に途絶えることになったわけだ。今では人々はあらゆる乗り物を利用し、乗ったら目の色を変えて腰かけようとする。一方では飽食とグルメ。日常的に摂取量よりも消費量が少ないというカロリーの輸入超過……その結果、肥満と虚弱人間ばかりがふえることになった。
だからといって、鉄道や飛行機を否定するようなムチャを言うつもりはない。ぐっと控えめに「自動車の利用についてもう少し賢くならないと、環境やエネルギー、交通事故や経済的な問題よりももっと確実で深刻な体力の劣化というマイナスを招くことを知るべきですよ」と言いたいのだ。
医学の祖といわれるヒポクラテスは「歩くことは人間にとって最良の薬」と喝破している。そのとおりには違いないが、〈薬〉などと言うこともない。単純な話、それは人間の活動の原点なのだから。
──プロですねえ
■「みんなで歩こう」ではなく
思わず演説をぶってしまったが、世の中には賢明な人が多く、すでに全国規模での〈歩く運動〉が多様に展開されている。歩くことの愛好者がそれだけ多いわけで、結構なことである。
たとえば日本歩け歩け協会が主催する「日本スリーデーマーチ」は年々盛況で、各国の市民スポーツ運動と連携して世界的な広がりになっている。各地でひんぱんに開催されるイベントには数万人の人々が参加、ひょっとして21世紀は車にとって代わって「歩く人間の時代」になるかもとさえ思われる勢いだ。
97年10月の第1回世界ウォーキング・フェスティバルでは「歩けは地球を救う! 輝かしい21世紀への道」をテーマに、各国のリーダーによる意見交換が行われた。環境問題と健康志向がムリなく結びついて、歩き屋にとっては心強いかぎりである。
先日は「青梅街道43㎞飲まず食わずウォーキング」とかが開催された。8時出発で夕方6時半までにゴールというのだから、脚に覚えのある人なら完走(歩)できるだろう。「飲まず食わず」にどういう意図があるのかとも思うが、災害などの非常時を想定したものならそれなりに意味があるかしれない。
しかし、じつをいうとわたしはこういう行事に参加する意思はまったくない。なんとか運動とか、かんとかの会というのが好きでないし、集団で何かをしたり行列をつくったりするのがきらいなタチなのだ。
これまで述べてきたように、わたしはただ、みっともない中年になりたくないという動機で歩き始め、近くにたまたま土手のコースがあったのだ。そして歩き始めたら、景色やヒトや動植物など興味の対象がたくさんあり、充実した内省の時間を発見したりでまことに楽しく忙しい。もしもぞろぞろと行列をなして行くウォーキングだったら、時速6キロの正確なラップで歩くこともできないし、わたしのウォーキングの楽しみのほとんどはなくなってしまうだろう。なんとも意識が低く個人主義でおそれいるが、わたしは歩くことをきわめて個人的な活動だと考えているのだ。
──ラジオ体操?
■どこを歩くか、それが問題だ
ウォーキングはマラソンやジョギングほど激しい運動ではないから、いつでもどこでも気軽に無理なくできる。スポーツの経験がなくても歩けるし、健康意識の高い今日ではたいていの人が歩くことの効果を知っている。とはいっても、本格的なウォーキングを始めようとするとネックは意外に多く、実際に継続する人は案外に少ない。
さしあたり、どこを歩くかというコースの問題がなかなかむずかしい。住宅街の近くには気軽に長い距離を歩ける道路がないのが実情だからだ。
散歩ではなくスポーツとして歩くには、時速6キロ前後のスピードで歩きたい。これは朝、駅に急ぐ人の歩調よりも速いから、これを住宅地の道路でやろうとすると車やヒトに接触したり、出会い頭の衝突を起こしかねない。それに横断歩道や信号にひっかかってスムースにいかず、しょっちゅう立ち止まらなければならない。
空気もポイントになる。自動車の排気ガスの中を歩くのでは、せっかく運動をしても汚れた空気で深呼吸することになって逆効果だ。
世間体ということもある。たとえウォーキングの人とわかる服装をしていても、大手を振って速歩する姿はちょっとかっこ悪い。場所を得ないと不審な人物に見られかねない。暗くなってから住宅地を数人連れで歩く女性をよく見かけるのは、こんな事情もあるのだろう。
願わくは、一定のピッチで速歩をつづけられるコースがいい。曲がり角や坂が少なく、1時間くらいは直進できる道が望ましい。安全性はもちろんだが、欲をいえば殺風景でない景観も欲しい……。
こんなことを言い出したら、都市生活者には気軽に歩ける好適なコースなどほとんどないことになる。だから市や「歩け歩け協会」のイベントに参加するしかないのだろう。そう考えれば江戸川土手のコースを歩けるわたしは大変めぐまれているわけで、〈自転車・歩行者専用〉道愛用者として県当局にお礼の言葉もないほどなのだ。
──ローラースケートも
■マシンとロードの違い
前にのべたように、わたしは土手のコースに出る以前はスポーツクラブの室内でマシンの上を歩いていた。それで、室内とロードの違いや長所短所についてつぎのように考えている。
歩行用マシンは回転するベルトの上を歩くしくみになっている。スピードや傾斜角度の調整は自由自在、歩行距離や心拍数・その時点で消費したカロリー数値などがすぐわかる。さらには、いくらコンピュータ制御といってもマシンはしょせん機械だから、こちらの無意識なペースダウンにはお構いなく設定どうりに動く。だから、否応なしにペースを守ることになる。
このトレーニングによってわたしは自分のウォーキングのペースを体得した。すなわち時速6・5キロ、傾斜2度で1時間歩くと410キロカロリーを消費する。時速6キロにして平坦だと340キロカロリーだが、このペースなら2時間はいけるという感触をつかんだのだ。
マシン・トレーニングの最大の問題点は退屈なことだ。ひま人でもない身で1時間も機械の相手をするのは、心の所在なさをもてあます苦行に近い。そこで懸案の考えごとをしたり、窓越しに外をながめたり、うろ覚えの英会話フレーズをつぶやいて紛らそうとするが、いつの間にかあと何分というマシンの表示をひたすらにらんでいる。ペダル踏みマシンも似たようなもので、こちらは雑誌を見ながらやっている人も多い。まあ、便利ではあるが、持続するには難のある道具といえよう。
その点、るる述べてきたように土手のコースはいくら歩いても退屈することがない。初めてロードに出るときは、温室から荒野に出るような不安を覚えたものだが、文字どおり外気にふれることは刺激と変化にとんでいる。同じコースでも歩くたびに発見があり、つねにある種の緊張感を維持していることになる。
早い話が、ロードコースはマシンのベルトほど足にやさしくない。当初は底のうすいシューズででこぼこ道を歩いて、足の裏の皮がべろっとはがれてしまったこともある。途中で雨が降らないか、陽射しや風が強すぎないか。水分の補給やトイレの配慮、体調が悪くなったらどうするか……そういうことへの備えをちゃんとやれなくては、単独で長時間を歩くことはできない。たかが〈歩き〉ではあるが、自分の力量を知って自身のマネジメントをできるだけの自立心が必要なのだ。
──まずは屈伸運動
■ウォーキングのペース
現在のところ、わたしは時速6キロで歩いている。ピッチは毎分120〜130歩、歩幅は80センチ。10分間にちょうど1キロのペースで2、3時間歩く。土手のコースには0・5キロごとに標識があるから、これを目印にすれば時計がなくても速度・距離・現在時刻が正確にわかる。
ウォーキングはその人の身体的条件と目的によってメニューが異なる。すなわち、現在のわたしに最適のメニューであるこの数字にはつぎのような意味がある。
有酸素運動によって体重を落とすには時間をかけて継続して歩くことがポイントになる。体脂肪は歩き始めて2、30分後から燃焼を始めるからだ。したがって疲れないで持続できる自分に合った速度と、カロリー消費の効果があがる速度のかねあいがポイントになる。
だから、スタートしてしばらくはエンジンの予熱時間だと考えている。最初の30分が過ぎると身体のどこかでパチンと燃焼開始のスイッチが入る気がして、それからがウォーキング本番なのだ。しかも脂肪は休み休みの歩きでは燃焼しない。ゴルフで長時間歩いても燃焼効果がないのはそういう理由だという。それらを考慮して、ムリのないペースで継続的に長時間歩けるメニューがこれなのだ。
ウォーキングの場合、一般に歩幅は身長マイナス100といわれる。これに照らすとわたしの歩幅80センチは、ちょっと背伸び気味だといえる。余談ながら、小学校時代のわたしは座高の高いのが自慢だった。当時は気づかなかったが、身長では並のわたしの場合、悲しいかなそれは胴長短足ということにほかならない。それでいて1000メートルを1240歩で歩くのだから、速度が歩幅をカバーし、脂肪の燃焼を促進しているわけだ。(それにしても、昔の小学校ではなんのために座高なんて計ったのだろう)
──鉄亜鈴ウォーキング
なにごとにつけても、人間は明確な目標・目安がないと、がんばる意欲がわかず成果もあがらないものだ。ウエート・トレーニングでもマンネリでやっていると、何年たっても進歩がない。そこで遅まきながら毎年20ポンドずつアップする計画をたてたら、着実に実力が上昇した経験がある。
当面、わたしの体力アップ・自己改造の目標は、始めに述べたように以下の数字である。くり返せば、定年のそのとき——
(1)42㎞を7時間で歩けること
(2)体重を70㎏におとすこと
(3)ベンチプレス100㎏を維持する
第一の目標の根拠は、もちろんマラソンの距離だ。世界のトップランナーは2時間そこそこで走るが、並の選手ならもう30分は余計かかる。その3倍の時間で〈激歩〉してやろうというのだ。
わたしは自動車ぎらいで運転免許も持たない〈人力尊重主義者〉だから、それなりにいざというとき頼れる体力を持とうと考えた。その、足の部の目標が(1)で、手のほう(3)というわけだ。
この目標については、まだ達成半ばである。21キロを3時間半でクリアしたことはあるが、あとペースが落ちて時速6キロを維持することができないのが現状だ。
しかし、あせることはない。落としたとはいえ、わたしはまだ標準体重を5キロほどオーバーしている。ということは持ち前の心肺機能や筋力に見合う以上の余分な荷物を持って歩いているようなものだ。体脂肪をエネルギーに変える消費カロリーの量は、この重荷分だけ促進される。つまり、せっせと歩いていれば筋肉が発達する反面で体重が落ちて、(2)と(1)が同時に達成できると楽観している。
──若いもんにゃ
■ウォーキングの速度
ウォーキングによる消費カロリーは、速度×時間すなわち距離に比例する。だから体重減が目的なら、より速く長時間つづけて長距離を歩くほどいい。
いうまでもなく自動車の経済速度は、最もエネルギー消費が少なく効率的に距離を走れるスピードだ。人間ならその人がふつうに歩く速度が経済速度で、これなら誰でもかなり長時間を歩きつづけることができる。ふつう、それは時速4〜4・5キロだが、これではカロリーの消費がはかどらない。
マシンと違って生身の人間はスタミナに限界があるから、オーバーペースで歩けば長時間は保たない。この場合、速度は歩行時間に反比例する。したがって減量効果を考えるならぶらぶら歩きでなく、ある程度の速度でしかも長時間歩く必要があるのだ。
わたしでいえば、時速7キロにして角度1度なら1時間で450キロカロリーを消費できるのだが、これだと1時間つづけるのがやっとだ。それが先のメニューの理由である。
ところで、他人様のウォーキング速度はどんなものだろうか。
戦国時代、軍団の移動スピードは日に約20〜25キロとして作戦がたてられていた。ところが、なんと80キロという常識破りの行軍速度で敵の意表をついて勝利した例がある。本能寺の変の際の秀吉の〈中国返し〉だ。その陰にはさまざまな備えがあったにせよ、不可能を可能にした要因は兵の脚力だろう。
泰平の江戸時代でも「十里歩けて一人前」といわれた。当時の一里は現在の六分の一の650メートルほどだが、もちろん道は舗装されていないし山道さえある。旅に出れば朝、宿をたつと日のあるあいだは歩きつづけるのだから、荷物を背に7キロくらい歩けないようではものの役に立たない。それどころか、途中でダウンしたら山中で追い剥ぎにあうのだから、健脚はエコノミーであるだけでなく生命を守るものでさえあった。
松尾芭蕉は健脚で、句をひねりながら一日約20キロ歩いた。伊賀忍者はじつに一日160キロ移動したというから、伊賀出身の〈芭蕉忍者説〉はそんなところから出たのかしれない。
四国お遍路ではふつう50日で八十八ヶ所の霊場をまわるという。その全長は約1400キロだから、1日平均28キロ歩くわけだ。経験者が異口同音に「歩くことの意味の発見」を語るのを聞くと、お遍路の真実は歩くことにあるらしい。とすれば、飛行機を利用して3日くらいでまわれる〈新商品〉などはいかがなものか。ましてケータイ電話をぶら下げた変な巡礼者がふえたと聞くと、肝心のプロセスをないがしろにした参拝行脚は御利益がうすいのではないかと思わざるをえない。
競歩の選手は時速13〜14キロという驚異のスピードを持続する。これはもう忍者並み、アマチュアのマラソンランナーの速度だ。
不動産広告の「駅から10分」というのは、800メートルを標準としているといわれる。時速4・8キロだから妥当なところだが、時速6キロのスポーツマンタイプの業者だと1166メートルとなる。わたしはこういう健脚の不動産業者のお世話にはなりたくない。
ついでながら、駅ビルなどにある〈動く歩道〉の時速は1・8キロだそうだ。せっかち人間や歩きに自信のある人が、まどろっこしくてこの上を歩き出すのもムリはない。
そんなわけで、時速6キロの持続力に自信を得たわたしは、いつの間にか距離を時速で割り算するくせがついた。浜松なら「290÷6=48」、青森なら「720÷6=120」という具合。すなわち浜松なら48時間、青森なら120時間歩けば行けるという計算だ。古代ローマ軍の場合、時速5キロで1日に25〜30キロを進軍できた。すなわち将軍は「兵を派遣する土地までの距離÷25(30)」で、到着までの日数を算出した。これと同じ思考法である。
──なお楽し
by knaito57
| 2005-05-04 16:31
| 7 保健体育の時間
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