2005年 05月 23日
11 自分の時間 |
■自分に帰る時間
わたしは、人間観察に格別の興味を持って土手を歩いているわけではない。景色や動植物に心を奪われたり、ウォーキングのペースや成果ばかりを気にしているわけでもない。一番多く考えているのはほかでもない、自分自身のことなのだ。きざな言い方だが、わたしにとってここは「自分に帰る場所」であり「自分の心に向き合う時間」なのだ。
毎日が家と会社の往復、バタバタ・イライラ・ウツウツとして長い年月をすごしてきた。静かに自分を見つめるどころか、しみじみと家族と向き合う時間さえ持たなかった気がする。空しさばかりが残る三十余年。立ち止まったことこそないが、走りつづけたともいえない。ただただ歩きつづけた、それこそウォーキング人生。
思えば通勤電車に揺られているときと、夜、駅からの帰り道に物思いにふけるくらいで、じっくりと考えごとをする時間をついぞ持たないできた。
ハッピー・リタイアメントとはいいがたいサラリーマンライフ。中年世代ともなれば、公私にわたり、やりたいこと、やらなければならないこと、解決すべき懸案事項など、課題は山ほどある。休日のたびに3時間もただ歩いているわけにはいかない立場なのだ。
その荷物の重さに、不覚にも足が止まってしまうこともある。こうしてはいられない、という焦りが身体を金縛りにしてしまうのだ。そんなときは重い想念を振り払うように、腕を大きく振って、かろうじて歩き出す。
パスカルは「人間は考える葦である」といった。不肖わたしは、それを「人間は考える脚=足で考える」と置き換えたい。実際、土手を歩きながらいつも、頭のなかで誰かに話しかけるか文章を書くかしている。そして、自分の〈経済速度〉で歩いているときに最も思考力が働くのだ。
しかも楽しく充実した時間であり、幸福感さえ感じるひとときでもあるから、わたしは歩かずにはいられない。これは決してむだではない、生きた時間なのだ。ここではわたしはすべてにおいて主人公で、時間も行動も思いのままにできる。たっぷりある時間のなかで、心ゆくだけ考えごともできる。現在と未来はもちろん、振り返る間もなかった過去さえ存分に思いめぐらすことができるのだ。
──農道
■追憶三題
舗装された土手のコースの中央部には、随所に縦長の亀裂が走り、そこから雑草がのぞいている。その裂け目を埋めるために施工されたセメントの灰色の長い帯は、しばしばわたしの遠い記憶を呼び覚ます。
小学校の国語の教科書に、こんな話が載っていた。
オランダだったかデンマークだったか——。犬を連れた少年が堤防の道を歩いていて、小さな亀裂を見つける。この土地は海抜よりも低く、堤防が決壊して町が水浸しになった不幸な歴史を持っている。ことの重大さを知っている少年は、身体を投げかけてその亀裂が広がるのをくい止めようとした。少年が帰らないので心配する人々のところに、犬が異変を知らせる。人々が堤防に達したとき、かわいそうに少年は……。わが身を捨てて国土を守った美談だったと、おぼろに記憶している。
土手上の亀裂を見るたびにその話を思い出して、わたしはドキドキとおだやかでない気持ちになるのだ。
──犬走りの草原
高校生になってすぐ、わたしは5月病にかかって学校を休みがちになった。そんなある日、思い立って玉川上水遡上の徒歩旅行に出たことがある。わたしが生まれ育ったのは東京・世田谷区のはずれで、北方3、4キロのところに井の頭公園があった。そこの雑木林をぬうようにして玉川上水が流れていた。若くして病死した父は散歩が好きで、わたしたち兄弟は幼いころから父に連れられてよくこの辺りを歩いたものだ。
この川は羽村で多摩川から分流し、小金井、井の頭、高井戸をへて四谷大木戸に至る43キロの流れである。むかしはここで高遠藩下屋敷つまり現在の新宿御苑に水を注ぎ、江戸城をはじめ市中の生活用水をまかなった。
わたしの徒歩旅行は、三鷹を過ぎ拝島を通り、羽村の先の多摩川原で一泊。翌日は小河内ダムを遡り、丹波川の源流に近いところまで到達して、そこで水浴をして引き返した。そんなわけで、わたしは当時から川への関心とウォーキングの資質を持っていたようなのである。
──土手下の畑
卒業論文でとりあげた内田百間に『冥途』という短編がある。この作家の原点のひとつに位置づけられる幻想的な作品で──作者自身と思われる少年が、高く暗い土手の下にいる。近くで数人のおとながなにか話しながら静かに笑っている。少年はその中の一人の声がなつかしく感じられてよく顔を見ようとするが、ぼんやりとして見えない。やがて人々はぼおっとした土手の道を行ってしまう。そのときになって少年は、あれは父の声だったと気がつく──その薄闇の世界は冥土だった。
暗い人影のなかに父親の声を聞いた作者の体験、沈んだ話し声と静かな笑い声。それが印象深く、わたしは未明の土手を歩きながら何度となくこの小説を思い出した。
いずれも土手のウォーキングを始めなければ、思い起こすこともなかったであろう遠い記憶である。
──冬の葱畑
■句境を歩く
小林一茶は川沿いのこの地をしばしば訪れたと前に述べた。健脚の松尾芭蕉は毎日2、30キロも歩きながらおびただしい数の句を詠んだとも。
なにを隠そう。わたしも近ごろ「俳句めいたもの」をひねり始めた。『奥の細道』ではないが、江戸川のこの道は五官をするどく働かせて、凡人にさえそんな気を起こさせるのだ。
とりあえず一句。
土手を行く 天上天下 われにあり
かけつけで二句。
春夏秋冬 花鳥風月 土手を行く
いずれも無季だが、季語にこだわれば、
春の土手 月は東に 日は西に (蕪村風)
土手行けば 川瀬にまじる 風の音 (蛇笏風)
こぞ今年 貫くごとき 土手の道 (虚子風)
盗作くさいが、このようにここは季節感あふれる景物にこと欠かない場所なのだ。
それはともかく、今のところわが句のキーワードはひたすら〈土手〉だ。ご覧のように上五も下五も「土手を行く」か「土手の道」でかっこうがつく。
ある年の3月、テレビの俳句講座の兼題で「青き踏む」という季語を覚えた。それで、さっそく歩きながら数句ひねってみた。
江戸川の 大気を喰らひ 青き踏む (速歩)
鞜青や 川の流れも たおやかに (速歩)
速歩とは、思いつきで決めたわたしの俳号である。吟行は本意でないが、近ごろ歩いているとどうも俳句がかってしまう。いずれ句集『土手の細道』を世に問いたいと思うほど、わたしはこの土手のコースにぞっこんなのだ。
──今上落しの流れ
■屁と独語
土手は狭いが、大らかな世界である。わたしは歩きながら、よくおならをするが、ここではその音までが軽快で純朴なのだ。
高らかに放屁して、ふと考える。
「沈香もたかず屁もひらず」──か。
まさに平々凡々のサラリーマン人生だったなあ。
ここまでなんとかたどりつくだけで、精一杯だった。
でも、こうしてりっぱな屁をできるようになった。
これからは香をたくような優雅な暮らしをしたいものだが……。
しかし、待てよ。おならはしても、おれはきれいな人間だぞ。
第一、マイカーを持たないから騒音や排ガスをまき散らしたりしない。〈膝栗毛〉とはいわないが、どこへ行くにも歩きを移動の基本手段と考えている。たとえば「ディズニーランドなら5時間でいける」という具合に、距離を時速6キロで割って考える習慣がついているくらいだ。
たばこや空きかんやガムのポイ捨ても絶対にしない。ケータイもエアコンも嫌いな省エネ人間だし、レザーコートを着たりカラオケやゴルフなんていうアホなこともやらない。シンプルライフの〈地球にやさしい〉人間なのだ。
おならくらい、地球環境にとっては屁でもあるまい。
放屁一発、わたしは人生の変わり目を予感している。おならは、哲学的である。
歩くようになって、いつからか始まったもう一つが独語。ドイツ語ではない。独りごとだ。口笛を吹いたり歌を口ずさんだりは、はじめからやっていた。英語のフレーズや俳句まがいを口にするのもめずらしくない。ところが今や、独り言をいう自分に気づいてはっとすることがあるのだ。
おならと独り言、これぞ中年の証拠かもしれない。しかし、自分ではそうは思わない。土手の道での自分が、それだけフリーでくつろいでいる証拠なのだと考えている。
放屁して 振り向きもせず 野分土手(速歩)
──水辺の冬景色
■誰にもある「わたしの川」
古今東西、川は人々の暮らしを支え、心のふるさととなってきた。飲料水や食糧を供給し、土地を肥やし交通の水路となったから、川に近い台地には早くから人が住み着いて文化が生まれたのだった。
川はしばしば人生にたとえられる。寛容と苛烈、常に変わらぬ流れと奔流。山地に降った雨の一滴が、枯れ葉や腐葉土をしみとおって地下水となる。集まってあふれ出た一筋がやがて渓流となり、田園をうるおす母なる流れとなって、ついに海に注ぐ。そうした川の生々流転は、人の一生にじつによく似ている。
人々は川にとくべつな思いを持って生きたから、川をタイトルにした大河小説がたくさん生まれた。有吉佐和子の『紀ノ川』、ショーロホフの『静かなるドン』など数え上げたらきりがないほどだ。『川の流れのように』など、川をうたった愛唱歌も数知れないほど多くある。
──カワヤナギの小径
そんなわけで、人は誰でも心の中に〈自分の川〉を持っている。川、といわれて最初に思い浮かぶ川がそれである。
わたしの場合、川といえばまず、子どものころ近くの畑地を流れていた小川で、ここで魚やザリガニを取って遊んだ記憶はいくつになっても鮮明だ。また、家族でよく行った多摩川も忘れがたい。しかし、物心ついて以来、もっとも縁深く感じてきたのは先述のように玉川上水であった。
川の流れに何かを学ぶ人は多い。生地を離れて現在地に住むようになって久しく、今ではわたしにとっての川は江戸川となった。そしてこの土手を歩くたびにいろいろなことを考え、発見するような気がしている。江戸川はまことに教訓的であり、今や「わたしの大学」なのだ。
──今上落しの汲み上げ水
■〈癒し〉の時間
スリムになるための運動と思って始めたウォーキングだが、それは予想外に活発な精神活動なのだった。
人影もない土手の道。単調な自分の足音の中を、風に吹かれてただ歩く。それだけのことが、けっこう思索的・哲学的なのだ。
ここでは、ただ歩いていればいい。進むべき方向は明快だ。
ふと、聖地に向かってひたすら歩く異国の人々を思う。土地を追われ、戦火を逃れ、無一物の人々が、脚だけをたよりに歩きつづける……。
歩いていて、しばしば〈これが人生ならいいのに〉などという思いがよぎる。ひたすら努力すればいい、何という単純さ!
歩いていると〈今がすべて〉という心境になる。その中で心にうるおいがよみがえり、ほころびが修復されていくような気がする。のみならず元気がわいてきて、せっせと歩いていればさまざまな問題が自然と解決していく気にさえなる。ウォーキングは、そして土手のコースは、わたしにとって〈癒し〉の道でもある。
──ヤマナラシの大樹
■「土手の上にも10年」
「五十の坂」などという。この年齢になると心身ともに活力が失われ、公私ともに〈あがり〉が迫ってくる。昨今のような社会情勢では、サラリーマンの誰しもが実感する坂だろう。
日本経済とともに、個人の〈右肩上がり〉の季節はいつの間にか過ぎてしまい、年々、あるいは日を追ってすべてが落ち目になっていく。「人生80年時代」というが、長い長い下り坂を行くしか、ほかに手はないのか。
わたしがひょんなことからスポーツクラブに入ったのもそんな頃だった。どうにもならない問題をいくつも抱えて、苛立ち・不安・無力感につぶされそうな時期だった。そういう思いをぶつけるようにトレーニング・マシンと取り組んだ。そういう重荷から逃れるように土手の道を歩いた。そして「土手の上にも10年」たつ。だから、わたしの筋肉繊維の一本一本はこういう暗く重い気持ちからできあがっているのだ。
ところが定年が近づいたころ、第二の人生のために「あてにできるもの・頼りになるもの」はと総点検してみて気づいた。貯蓄や年金、資格や特技、人脈や家族……これといって確かでないものばかりのなかで、一番〈確かなもの〉はこの10年がかりで鍛えた身体だ!
実際、苛立ったり落ち込んだとき、自分の胸や脚の筋肉をさすることによって、いくらか気持ちの均衡を取り戻してきた。皮肉なことに、慢性的にうっ積した精神を支えてくれたのは〈筋肉〉だったのだ。
やけくその開き直りみたいだが、正直なところわたしは「体力は最大の能力」「筋肉こそ最後に頼れるもの」と思っている。西部の男のようにこれから先、自分のことは自分で何とかするし、家族に危機が迫れば身体を張ってたたかう気概もある。保安官(公的資金や介護保険)をあてにしたりはしない。
とまあ意気込んでみたが、いつまでも〈筋肉の論理〉で通せるわけもない。土手のウォーキングは爽快であり、豪儀・ぜいたくな気分でもある。だが……。
長年、土手の上から眺めていて気にかかっていた光景がいろいろある。土手を降りても、また別のすばらしい楽しみがあるのだ。川岸に降りてみるのもいい。田の畦や農道を歩くのも楽しい。筑波山にも登ってみたい……思いは広がるが、それらは「老後の楽しみ」にとっておこう。
──丸木橋
それよりもコースの途中に、いつも視線を止められる木橋がある。土手に沿った小川に丸木の桁を立て、丸木と板を組みあわせた上に土砂をふりまいた長さ数メートルの細い木橋だ。遠目にも「車両通行禁止」らしい看板が見え、橋上には雑草が生えている。
会社勤めを辞めてから土手を歩く回数はふえたが、余生というもやすからず。わたしはいまだ心身の緊張がほどけず、ウォーキングでも〈一所懸命〉に歩いている。だが、いつか気分的なゆとりができたら、「スイッチを切って」土手を降り、木橋を渡って、細い畑道やたんぼの畦を歩きたい……と思っている。 (完)
わたしは、人間観察に格別の興味を持って土手を歩いているわけではない。景色や動植物に心を奪われたり、ウォーキングのペースや成果ばかりを気にしているわけでもない。一番多く考えているのはほかでもない、自分自身のことなのだ。きざな言い方だが、わたしにとってここは「自分に帰る場所」であり「自分の心に向き合う時間」なのだ。
毎日が家と会社の往復、バタバタ・イライラ・ウツウツとして長い年月をすごしてきた。静かに自分を見つめるどころか、しみじみと家族と向き合う時間さえ持たなかった気がする。空しさばかりが残る三十余年。立ち止まったことこそないが、走りつづけたともいえない。ただただ歩きつづけた、それこそウォーキング人生。
思えば通勤電車に揺られているときと、夜、駅からの帰り道に物思いにふけるくらいで、じっくりと考えごとをする時間をついぞ持たないできた。
ハッピー・リタイアメントとはいいがたいサラリーマンライフ。中年世代ともなれば、公私にわたり、やりたいこと、やらなければならないこと、解決すべき懸案事項など、課題は山ほどある。休日のたびに3時間もただ歩いているわけにはいかない立場なのだ。
その荷物の重さに、不覚にも足が止まってしまうこともある。こうしてはいられない、という焦りが身体を金縛りにしてしまうのだ。そんなときは重い想念を振り払うように、腕を大きく振って、かろうじて歩き出す。
パスカルは「人間は考える葦である」といった。不肖わたしは、それを「人間は考える脚=足で考える」と置き換えたい。実際、土手を歩きながらいつも、頭のなかで誰かに話しかけるか文章を書くかしている。そして、自分の〈経済速度〉で歩いているときに最も思考力が働くのだ。
しかも楽しく充実した時間であり、幸福感さえ感じるひとときでもあるから、わたしは歩かずにはいられない。これは決してむだではない、生きた時間なのだ。ここではわたしはすべてにおいて主人公で、時間も行動も思いのままにできる。たっぷりある時間のなかで、心ゆくだけ考えごともできる。現在と未来はもちろん、振り返る間もなかった過去さえ存分に思いめぐらすことができるのだ。
──農道
■追憶三題
舗装された土手のコースの中央部には、随所に縦長の亀裂が走り、そこから雑草がのぞいている。その裂け目を埋めるために施工されたセメントの灰色の長い帯は、しばしばわたしの遠い記憶を呼び覚ます。
小学校の国語の教科書に、こんな話が載っていた。
オランダだったかデンマークだったか——。犬を連れた少年が堤防の道を歩いていて、小さな亀裂を見つける。この土地は海抜よりも低く、堤防が決壊して町が水浸しになった不幸な歴史を持っている。ことの重大さを知っている少年は、身体を投げかけてその亀裂が広がるのをくい止めようとした。少年が帰らないので心配する人々のところに、犬が異変を知らせる。人々が堤防に達したとき、かわいそうに少年は……。わが身を捨てて国土を守った美談だったと、おぼろに記憶している。
土手上の亀裂を見るたびにその話を思い出して、わたしはドキドキとおだやかでない気持ちになるのだ。
──犬走りの草原
高校生になってすぐ、わたしは5月病にかかって学校を休みがちになった。そんなある日、思い立って玉川上水遡上の徒歩旅行に出たことがある。わたしが生まれ育ったのは東京・世田谷区のはずれで、北方3、4キロのところに井の頭公園があった。そこの雑木林をぬうようにして玉川上水が流れていた。若くして病死した父は散歩が好きで、わたしたち兄弟は幼いころから父に連れられてよくこの辺りを歩いたものだ。
この川は羽村で多摩川から分流し、小金井、井の頭、高井戸をへて四谷大木戸に至る43キロの流れである。むかしはここで高遠藩下屋敷つまり現在の新宿御苑に水を注ぎ、江戸城をはじめ市中の生活用水をまかなった。
わたしの徒歩旅行は、三鷹を過ぎ拝島を通り、羽村の先の多摩川原で一泊。翌日は小河内ダムを遡り、丹波川の源流に近いところまで到達して、そこで水浴をして引き返した。そんなわけで、わたしは当時から川への関心とウォーキングの資質を持っていたようなのである。
──土手下の畑
卒業論文でとりあげた内田百間に『冥途』という短編がある。この作家の原点のひとつに位置づけられる幻想的な作品で──作者自身と思われる少年が、高く暗い土手の下にいる。近くで数人のおとながなにか話しながら静かに笑っている。少年はその中の一人の声がなつかしく感じられてよく顔を見ようとするが、ぼんやりとして見えない。やがて人々はぼおっとした土手の道を行ってしまう。そのときになって少年は、あれは父の声だったと気がつく──その薄闇の世界は冥土だった。
暗い人影のなかに父親の声を聞いた作者の体験、沈んだ話し声と静かな笑い声。それが印象深く、わたしは未明の土手を歩きながら何度となくこの小説を思い出した。
いずれも土手のウォーキングを始めなければ、思い起こすこともなかったであろう遠い記憶である。
──冬の葱畑
■句境を歩く
小林一茶は川沿いのこの地をしばしば訪れたと前に述べた。健脚の松尾芭蕉は毎日2、30キロも歩きながらおびただしい数の句を詠んだとも。
なにを隠そう。わたしも近ごろ「俳句めいたもの」をひねり始めた。『奥の細道』ではないが、江戸川のこの道は五官をするどく働かせて、凡人にさえそんな気を起こさせるのだ。
とりあえず一句。
土手を行く 天上天下 われにあり
かけつけで二句。
春夏秋冬 花鳥風月 土手を行く
いずれも無季だが、季語にこだわれば、
春の土手 月は東に 日は西に (蕪村風)
土手行けば 川瀬にまじる 風の音 (蛇笏風)
こぞ今年 貫くごとき 土手の道 (虚子風)
盗作くさいが、このようにここは季節感あふれる景物にこと欠かない場所なのだ。
それはともかく、今のところわが句のキーワードはひたすら〈土手〉だ。ご覧のように上五も下五も「土手を行く」か「土手の道」でかっこうがつく。
ある年の3月、テレビの俳句講座の兼題で「青き踏む」という季語を覚えた。それで、さっそく歩きながら数句ひねってみた。
江戸川の 大気を喰らひ 青き踏む (速歩)
鞜青や 川の流れも たおやかに (速歩)
速歩とは、思いつきで決めたわたしの俳号である。吟行は本意でないが、近ごろ歩いているとどうも俳句がかってしまう。いずれ句集『土手の細道』を世に問いたいと思うほど、わたしはこの土手のコースにぞっこんなのだ。
──今上落しの流れ
■屁と独語
土手は狭いが、大らかな世界である。わたしは歩きながら、よくおならをするが、ここではその音までが軽快で純朴なのだ。
高らかに放屁して、ふと考える。
「沈香もたかず屁もひらず」──か。
まさに平々凡々のサラリーマン人生だったなあ。
ここまでなんとかたどりつくだけで、精一杯だった。
でも、こうしてりっぱな屁をできるようになった。
これからは香をたくような優雅な暮らしをしたいものだが……。
しかし、待てよ。おならはしても、おれはきれいな人間だぞ。
第一、マイカーを持たないから騒音や排ガスをまき散らしたりしない。〈膝栗毛〉とはいわないが、どこへ行くにも歩きを移動の基本手段と考えている。たとえば「ディズニーランドなら5時間でいける」という具合に、距離を時速6キロで割って考える習慣がついているくらいだ。
たばこや空きかんやガムのポイ捨ても絶対にしない。ケータイもエアコンも嫌いな省エネ人間だし、レザーコートを着たりカラオケやゴルフなんていうアホなこともやらない。シンプルライフの〈地球にやさしい〉人間なのだ。
おならくらい、地球環境にとっては屁でもあるまい。
放屁一発、わたしは人生の変わり目を予感している。おならは、哲学的である。
歩くようになって、いつからか始まったもう一つが独語。ドイツ語ではない。独りごとだ。口笛を吹いたり歌を口ずさんだりは、はじめからやっていた。英語のフレーズや俳句まがいを口にするのもめずらしくない。ところが今や、独り言をいう自分に気づいてはっとすることがあるのだ。
おならと独り言、これぞ中年の証拠かもしれない。しかし、自分ではそうは思わない。土手の道での自分が、それだけフリーでくつろいでいる証拠なのだと考えている。
放屁して 振り向きもせず 野分土手(速歩)
──水辺の冬景色
■誰にもある「わたしの川」
古今東西、川は人々の暮らしを支え、心のふるさととなってきた。飲料水や食糧を供給し、土地を肥やし交通の水路となったから、川に近い台地には早くから人が住み着いて文化が生まれたのだった。
川はしばしば人生にたとえられる。寛容と苛烈、常に変わらぬ流れと奔流。山地に降った雨の一滴が、枯れ葉や腐葉土をしみとおって地下水となる。集まってあふれ出た一筋がやがて渓流となり、田園をうるおす母なる流れとなって、ついに海に注ぐ。そうした川の生々流転は、人の一生にじつによく似ている。
人々は川にとくべつな思いを持って生きたから、川をタイトルにした大河小説がたくさん生まれた。有吉佐和子の『紀ノ川』、ショーロホフの『静かなるドン』など数え上げたらきりがないほどだ。『川の流れのように』など、川をうたった愛唱歌も数知れないほど多くある。
──カワヤナギの小径
そんなわけで、人は誰でも心の中に〈自分の川〉を持っている。川、といわれて最初に思い浮かぶ川がそれである。
わたしの場合、川といえばまず、子どものころ近くの畑地を流れていた小川で、ここで魚やザリガニを取って遊んだ記憶はいくつになっても鮮明だ。また、家族でよく行った多摩川も忘れがたい。しかし、物心ついて以来、もっとも縁深く感じてきたのは先述のように玉川上水であった。
川の流れに何かを学ぶ人は多い。生地を離れて現在地に住むようになって久しく、今ではわたしにとっての川は江戸川となった。そしてこの土手を歩くたびにいろいろなことを考え、発見するような気がしている。江戸川はまことに教訓的であり、今や「わたしの大学」なのだ。
──今上落しの汲み上げ水
■〈癒し〉の時間
スリムになるための運動と思って始めたウォーキングだが、それは予想外に活発な精神活動なのだった。
人影もない土手の道。単調な自分の足音の中を、風に吹かれてただ歩く。それだけのことが、けっこう思索的・哲学的なのだ。
ここでは、ただ歩いていればいい。進むべき方向は明快だ。
ふと、聖地に向かってひたすら歩く異国の人々を思う。土地を追われ、戦火を逃れ、無一物の人々が、脚だけをたよりに歩きつづける……。
歩いていて、しばしば〈これが人生ならいいのに〉などという思いがよぎる。ひたすら努力すればいい、何という単純さ!
歩いていると〈今がすべて〉という心境になる。その中で心にうるおいがよみがえり、ほころびが修復されていくような気がする。のみならず元気がわいてきて、せっせと歩いていればさまざまな問題が自然と解決していく気にさえなる。ウォーキングは、そして土手のコースは、わたしにとって〈癒し〉の道でもある。
──ヤマナラシの大樹
■「土手の上にも10年」
「五十の坂」などという。この年齢になると心身ともに活力が失われ、公私ともに〈あがり〉が迫ってくる。昨今のような社会情勢では、サラリーマンの誰しもが実感する坂だろう。
日本経済とともに、個人の〈右肩上がり〉の季節はいつの間にか過ぎてしまい、年々、あるいは日を追ってすべてが落ち目になっていく。「人生80年時代」というが、長い長い下り坂を行くしか、ほかに手はないのか。
わたしがひょんなことからスポーツクラブに入ったのもそんな頃だった。どうにもならない問題をいくつも抱えて、苛立ち・不安・無力感につぶされそうな時期だった。そういう思いをぶつけるようにトレーニング・マシンと取り組んだ。そういう重荷から逃れるように土手の道を歩いた。そして「土手の上にも10年」たつ。だから、わたしの筋肉繊維の一本一本はこういう暗く重い気持ちからできあがっているのだ。
ところが定年が近づいたころ、第二の人生のために「あてにできるもの・頼りになるもの」はと総点検してみて気づいた。貯蓄や年金、資格や特技、人脈や家族……これといって確かでないものばかりのなかで、一番〈確かなもの〉はこの10年がかりで鍛えた身体だ!
実際、苛立ったり落ち込んだとき、自分の胸や脚の筋肉をさすることによって、いくらか気持ちの均衡を取り戻してきた。皮肉なことに、慢性的にうっ積した精神を支えてくれたのは〈筋肉〉だったのだ。
やけくその開き直りみたいだが、正直なところわたしは「体力は最大の能力」「筋肉こそ最後に頼れるもの」と思っている。西部の男のようにこれから先、自分のことは自分で何とかするし、家族に危機が迫れば身体を張ってたたかう気概もある。保安官(公的資金や介護保険)をあてにしたりはしない。
とまあ意気込んでみたが、いつまでも〈筋肉の論理〉で通せるわけもない。土手のウォーキングは爽快であり、豪儀・ぜいたくな気分でもある。だが……。
長年、土手の上から眺めていて気にかかっていた光景がいろいろある。土手を降りても、また別のすばらしい楽しみがあるのだ。川岸に降りてみるのもいい。田の畦や農道を歩くのも楽しい。筑波山にも登ってみたい……思いは広がるが、それらは「老後の楽しみ」にとっておこう。
──丸木橋
それよりもコースの途中に、いつも視線を止められる木橋がある。土手に沿った小川に丸木の桁を立て、丸木と板を組みあわせた上に土砂をふりまいた長さ数メートルの細い木橋だ。遠目にも「車両通行禁止」らしい看板が見え、橋上には雑草が生えている。
会社勤めを辞めてから土手を歩く回数はふえたが、余生というもやすからず。わたしはいまだ心身の緊張がほどけず、ウォーキングでも〈一所懸命〉に歩いている。だが、いつか気分的なゆとりができたら、「スイッチを切って」土手を降り、木橋を渡って、細い畑道やたんぼの畦を歩きたい……と思っている。 (完)
by knaito57
| 2005-05-23 22:52
| 11 自分の時間
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Comments(1)
Commented
by
antsuan at 2005-05-24 21:47
川にはよく落ちました。登園時にドブ川に落ちたのを初め、小学生の時には家の前の川に自転車ごと土手の上から真っ逆さま。それも二度も。しかし写真を拝見して、どんな道にも四季があるのだなぁと感心しました。
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