2005年 11月 14日
■小菊のはなし |
♪あ〜か〜し〜ろ〜み〜だ〜(赤白乱)れて♪
菊の季節になると、こう始まる唱歌を思い出す。小学生のとき習ったもので曲名も歌詞も忘れたが、お終いは
♪いろとりどり〜の 垣根の小菊♪ だった。
半世紀以上も歌うことがなかったこんな歌が、突如よみがえる不思議。98歳になる母は子どものころに戻っているのか、近ごろ気分のいいときに「箱根の山は天下のけん」と「雪やこんこん」が混ざった妙な歌をよく歌う。いずれ私も認知症が(さらに?)進めば、記憶の一番底にあるこういう平明な歌を口ずさむのだろう。もしかして、そのときには歌詞を完全に思い出しているかも──楽しみだ。
11月の花は菊にとどめをさす。菊の節句は重陽9月9日だが、新暦人間にとっては菊といえば11月と反応するほどイメージが重なり合う。とにかく街も公園も庭も、至る所に小菊が咲き誇り、やや冷えた大気に上品な香りを漂わせている。
新興の住宅地で門まわりを草花で飾る習慣が一般化して久しいが、四季を通してカラフルな新種・輸入草花ばかりでもうひとつ趣に欠ける。むしろこの時期に塀や垣根からはみ出して咲く小菊のほうが、というのは偏屈だろうか。
歳月をへた家々の庭にはさまざまな種類の小菊が咲き競っている。買い求めたもの、よそから貰ったもの、交換したものなどがあちこちに咲く、やや雑然とした「住む人の人柄をにじませる庭」に私は惹かれるのだ。
土手下の民家の庭先や道ばた、畑の隅などにも多種多彩な小菊が咲いている。仏前に供えたり、朝市で売ったりもするだろうが、おおかたはそのまま。色あせても古い傘をたてて霜よけ年越しさせるなど、花好きの気持がうかがえる。
菊──も、じつにいろいろだなあ。湯島天神の菊祭りや地元市の文化祭などで見かける大輪や変わり咲き、あるいは懸崖・菊人形にはあまり惹かれない。好事家にはそれぞれ奥が深いのだろうが、どちらかといえば1本仕立ての大輪よりも倒れたりしながら乱れ咲く小菊が気持になじむ。丹精したりひねったりという、人工の加わったものに対する抵抗感があるのだろう。
貴顕の胸を飾る大輪や、式典用に栽培された白や黄のりっぱな菊は、なんとなく花とは別のものに思える。それよりも、ありきたりの種類を自然に育てた「乱菊」の風情を好むというのは、屈折した心情だろうか。決してそんなことはなく、それはむしろ花好きの人々に共通する傾向だと思う。着物の柄に大輪の菊を配するよりも小菊を散らすというのは、日本人の美意識というべきだろう。
とはいうものの、飾り立てた人間に対して生理的な拒否反応があるとか、犬猫なども高価な珍種よりも雑種やむしろノラを好むとなると、こりゃ「負け犬」のひがみ根性かもしれないなあ。
──むかし、と言っても昭和30年代のこと。東映に「花柳小菊」という、姉御役が似合うタイプで市川右太衛門だんなと組むことが多い女優さんがいたっけ。当然それなりの人なのだろうが、中学を出て間もない純情少年にはなじめず、わたしはお姫様や町娘役が似合う丘さとみ・桜町弘子・大川恵子・長谷川裕見子のほうが好きだった。
挫折と彷徨の時期で、3本だて50円くらいの場末の映画館をはしごする日々だった。三軒茶屋・下北沢・吉祥寺・新宿・渋谷……映画はなんでもよく、手当たりしだいに観たものだ。ポスター貼りの代償の招待券をもらえるつてがあったので、東映の映画はすべてといえるほどよく観た。高倉健や三田佳子のデビュー作も、日本初のシネマスコープも観た。
「旗本退屈男」ははずれのないシリーズで、最後に「諸刃流正眼崩し」で斬られる悪役にもすっかりおなじみになった。進藤英太郎・山形勲・吉田義夫・阿部九州男らが出てくると、(これが黒幕の首領だ)だとすぐにわかるほど通になった。何遍斬られても出てくる小面憎いその顔を見るたび(まだ懲りずに悪事を働くのか)と思うほどだった。
そんなわけだから、BSの「懐かし映画館」を観ても懐かしいよりもわびしい。林家喜久蔵が「波が岩に砕け散って、映画は東映……」としゃべるのはよくわかるのだが、笑うよりもほろ苦い気分になる。これがわが思春期の肥やしだったと思うと、切なくさえなるのだ。チープな青春だったなあ。
──競馬では、長距離得意なキクノオーをよく追いかけたっけ。巨漢馬キクオーカンも好きだった。その名がラッキーをもたらしてくれることを期待したのだろう。
50歳にもならずに亡くなった親父の名は「菊雄」で、自分は今それよりもずっと年長になっている。幼いときのことだから印象や記憶はうすく、その面影からは自立して生きてきたつもりなのだが、やはり「菊」の一字にはとらわれるところがあるようだ。
いつもながら、土手の妄想はとりとめもなく止まるところを知らない。
高音ゆえ歌うことはできなかったけれど、「庭の千草」も好きだったなあ。
♪庭の千草も 虫の音も 枯れて淋しく なりにけり
ああ白菊 ああ白菊 ひとり遅れて 咲きにけり
菊の季節になると、こう始まる唱歌を思い出す。小学生のとき習ったもので曲名も歌詞も忘れたが、お終いは
♪いろとりどり〜の 垣根の小菊♪ だった。
半世紀以上も歌うことがなかったこんな歌が、突如よみがえる不思議。98歳になる母は子どものころに戻っているのか、近ごろ気分のいいときに「箱根の山は天下のけん」と「雪やこんこん」が混ざった妙な歌をよく歌う。いずれ私も認知症が(さらに?)進めば、記憶の一番底にあるこういう平明な歌を口ずさむのだろう。もしかして、そのときには歌詞を完全に思い出しているかも──楽しみだ。
11月の花は菊にとどめをさす。菊の節句は重陽9月9日だが、新暦人間にとっては菊といえば11月と反応するほどイメージが重なり合う。とにかく街も公園も庭も、至る所に小菊が咲き誇り、やや冷えた大気に上品な香りを漂わせている。
新興の住宅地で門まわりを草花で飾る習慣が一般化して久しいが、四季を通してカラフルな新種・輸入草花ばかりでもうひとつ趣に欠ける。むしろこの時期に塀や垣根からはみ出して咲く小菊のほうが、というのは偏屈だろうか。
歳月をへた家々の庭にはさまざまな種類の小菊が咲き競っている。買い求めたもの、よそから貰ったもの、交換したものなどがあちこちに咲く、やや雑然とした「住む人の人柄をにじませる庭」に私は惹かれるのだ。
土手下の民家の庭先や道ばた、畑の隅などにも多種多彩な小菊が咲いている。仏前に供えたり、朝市で売ったりもするだろうが、おおかたはそのまま。色あせても古い傘をたてて霜よけ年越しさせるなど、花好きの気持がうかがえる。
菊──も、じつにいろいろだなあ。湯島天神の菊祭りや地元市の文化祭などで見かける大輪や変わり咲き、あるいは懸崖・菊人形にはあまり惹かれない。好事家にはそれぞれ奥が深いのだろうが、どちらかといえば1本仕立ての大輪よりも倒れたりしながら乱れ咲く小菊が気持になじむ。丹精したりひねったりという、人工の加わったものに対する抵抗感があるのだろう。
貴顕の胸を飾る大輪や、式典用に栽培された白や黄のりっぱな菊は、なんとなく花とは別のものに思える。それよりも、ありきたりの種類を自然に育てた「乱菊」の風情を好むというのは、屈折した心情だろうか。決してそんなことはなく、それはむしろ花好きの人々に共通する傾向だと思う。着物の柄に大輪の菊を配するよりも小菊を散らすというのは、日本人の美意識というべきだろう。
とはいうものの、飾り立てた人間に対して生理的な拒否反応があるとか、犬猫なども高価な珍種よりも雑種やむしろノラを好むとなると、こりゃ「負け犬」のひがみ根性かもしれないなあ。
──むかし、と言っても昭和30年代のこと。東映に「花柳小菊」という、姉御役が似合うタイプで市川右太衛門だんなと組むことが多い女優さんがいたっけ。当然それなりの人なのだろうが、中学を出て間もない純情少年にはなじめず、わたしはお姫様や町娘役が似合う丘さとみ・桜町弘子・大川恵子・長谷川裕見子のほうが好きだった。
挫折と彷徨の時期で、3本だて50円くらいの場末の映画館をはしごする日々だった。三軒茶屋・下北沢・吉祥寺・新宿・渋谷……映画はなんでもよく、手当たりしだいに観たものだ。ポスター貼りの代償の招待券をもらえるつてがあったので、東映の映画はすべてといえるほどよく観た。高倉健や三田佳子のデビュー作も、日本初のシネマスコープも観た。
「旗本退屈男」ははずれのないシリーズで、最後に「諸刃流正眼崩し」で斬られる悪役にもすっかりおなじみになった。進藤英太郎・山形勲・吉田義夫・阿部九州男らが出てくると、(これが黒幕の首領だ)だとすぐにわかるほど通になった。何遍斬られても出てくる小面憎いその顔を見るたび(まだ懲りずに悪事を働くのか)と思うほどだった。
そんなわけだから、BSの「懐かし映画館」を観ても懐かしいよりもわびしい。林家喜久蔵が「波が岩に砕け散って、映画は東映……」としゃべるのはよくわかるのだが、笑うよりもほろ苦い気分になる。これがわが思春期の肥やしだったと思うと、切なくさえなるのだ。チープな青春だったなあ。
──競馬では、長距離得意なキクノオーをよく追いかけたっけ。巨漢馬キクオーカンも好きだった。その名がラッキーをもたらしてくれることを期待したのだろう。
50歳にもならずに亡くなった親父の名は「菊雄」で、自分は今それよりもずっと年長になっている。幼いときのことだから印象や記憶はうすく、その面影からは自立して生きてきたつもりなのだが、やはり「菊」の一字にはとらわれるところがあるようだ。
いつもながら、土手の妄想はとりとめもなく止まるところを知らない。
高音ゆえ歌うことはできなかったけれど、「庭の千草」も好きだったなあ。
♪庭の千草も 虫の音も 枯れて淋しく なりにけり
ああ白菊 ああ白菊 ひとり遅れて 咲きにけり
by knaito57
| 2005-11-14 11:32
| ■ときどき日記
|
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Comments(3)
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antsuan at 2005-11-16 20:18
チープで切なくて、このほろ苦さが男の青春なんだと思ったりしています。阿久悠の「瀬戸内少年野球団」を連想してしまいました。梅ケ丘の駅前で一年間新聞配達をしていた事があるので、下北沢、三軒茶屋、渋谷、新宿と聞くと自分もブルーな若い時代を思い出します。
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knaito57
at 2005-11-17 14:15
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梅ヶ丘とは懐かしい。ヨットを乗り回す湘南の若社長にそんな青春があったとは、自衛隊の経緯も含めて意外です。まだ貧しい時代だったから、それぞれに「寄り道」をしたわけですね。中学卒業間もない私は、玉電三軒茶屋のホームに隣接する東湖堂という書店の小僧で自転車配達もしたので、下北沢・豪徳寺など界隈の世田谷には詳しいのです。
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saheizi-inokori at 2008-11-17 14:13
20年くらい前に所在がなくなって浅草で3本千円の映画館で時間を過ごすことがありました。
寅さんシリーズとか鶴田浩二のヤクザものが多かったなあ。
今はちゃんとした映画館も千円では入れる年になりました。
三茶に行こうかとNETで調べてみるとみたかったのは先週で終わっていました。
寅さんシリーズとか鶴田浩二のヤクザものが多かったなあ。
今はちゃんとした映画館も千円では入れる年になりました。
三茶に行こうかとNETで調べてみるとみたかったのは先週で終わっていました。