2006年 08月 21日
■花火大会雑感 |
おとといは当地流山の花火大会だった。天候次第で気をもませるイベントだから、予定どおりに実施できたことは上首尾だったといえる。
先月、河川敷を呑み込んだ濁流を見たときには(今年は花火もコスモスもだめかな)と思った。このところ不安定な天候で、連日のように断続的・局地的な激しい雨が降っていた。自分は運河の手前で降られてずぶぬれになったし、各地で急な増水により中洲に取り残されるというような事件もあった。増水や雨天のため延期や中止という事態になった年もめずらしくないから、予定どおり進行してまずは「めでたしめでたし」というのが住民の実感なのだ。
場所は、流山駅前の野田街道を渡って西へ5分ほどで至る江戸川河川敷。付近の土手はあらかじめ除草されるなど整備は上々だ。会場中央に近く、仕掛け花火や精霊流しがよく見える場所には特別席が設けられて、3000円の席がすぐに完売となったという。人出目当ての屋台なども並びなかなかのにぎわいだった。
今年は対岸の三郷市との共同開催だそうだ。経緯は知らないが、花火大会で共催といえば費用を出し合うということだろう。そのせいか、例年よりも打ち上げの“間”がなくなったように感じられた。(ローカルらしいあの“間”もあれはあれでよかったが)
当地の花火大会は地元にとっては数少ない年中行事のひとつだが、もともとあまり盛大なものではない。小さな市のことで予算も少なく、市民の寄付金による“手づくり花火大会”の趣がある。花火大会のお知らせのチラシ裏には、小さな文字で寄付者名と金額が印刷されている。10万円、20万円というトップクラスは地元の電鉄会社や出店している大手流通業。次いで地元の企業や老舗。ふだんは目にとまらないような零細企業や商店が奮発しているケースもあれば、意外に渋いところもある。2000円くらいの欄には個人名も多く見られ、じっくりながめるとなかなか楽しいものだ。
そもそも河原で打ち上げる花火は、建物や樹木などの遮蔽物がないかぎりかなり遠くからでも見える。まして対岸からは、むしろこちらよりもよく見えるほどで、火花の明かりの中に向こうの土手上に並ぶ人影が浮かんで見える。すなわち共同開催は自然かつ妥当な選択だと思う。
隅田川や東京湾など大きな看板の大会はだいぶ前に終わっている。同じ江戸川流域でも何カ所も開催しており、ほかに運動公園とか手賀沼とか盛夏の宵は連日どこからか打ち上げ花火の音が聞こえてくる。だが、お盆がすんだこの時期ともなると何となく“遅咲きの花火”の感もある。近年は各地の河川や広場での花火大会が盛んで、この時期には花火職人は引っ張りだこだという。と聞けば、ローカルの大会が日程優先といかないのもムリはなく、それなりの風情を楽しめればよしと思う。
先日の“大江戸花火”だったか、民放テレビで中継放送しているのを何げなく見た。わかってはいたけれど、これがつまらない。くだらない。浴衣姿にうちわというタレントが何人も登場して、間断なくはしゃぐ。打ち上げ花火につきものである“間”の静けさや楽しみがない。ついでにいえば、NHKでも似たようなもの。旅番組でも美術館めぐりでも相撲中継でも、きまりごとのように芸能人が出てきて不要なおしゃべりや解説をする。それが煩わしいから音声を消して見たり、ついにはスイッチを切ってしまうこともある。演出者のマンネリとセンスの悪さに興醒めすることが多い。
夏の朝、土手を歩くと人家の近い場所には子ども達が遊んだ花火の残骸が散乱していることがよくある。ほかのゴミとちがって、これはほほえましく懐かしい光景でもある。もっともそれは線香花火やネズミ花火ならであって、近ごろは子どもの花火といえども大型化して太い筒を束ねたような大物が多いから、ちょっとかわいげがない。かなりの金額を費やして土手を散らかし放題のまま引き上げた子どもらを思うと、「親の顔を見たい」などと思ったりする。
先日、何かの番組で柴又帝釈天のそばで育ったという益子直美さんが、そこのお祭りのことを話していた。なかで耳にとまったのは“拾いもの”の楽しさということ。お祭りの翌朝「土手に行って来るね」と勇んで出かけた子ども達は、屋台があった近くや土手を歩いて目ざとく小銭を拾ったりする。彼女のようなきれいなお姉さんもそうであったかと、わが末っ子の幼いころを思い出して苦笑した次第。
先月、河川敷を呑み込んだ濁流を見たときには(今年は花火もコスモスもだめかな)と思った。このところ不安定な天候で、連日のように断続的・局地的な激しい雨が降っていた。自分は運河の手前で降られてずぶぬれになったし、各地で急な増水により中洲に取り残されるというような事件もあった。増水や雨天のため延期や中止という事態になった年もめずらしくないから、予定どおり進行してまずは「めでたしめでたし」というのが住民の実感なのだ。
場所は、流山駅前の野田街道を渡って西へ5分ほどで至る江戸川河川敷。付近の土手はあらかじめ除草されるなど整備は上々だ。会場中央に近く、仕掛け花火や精霊流しがよく見える場所には特別席が設けられて、3000円の席がすぐに完売となったという。人出目当ての屋台なども並びなかなかのにぎわいだった。
今年は対岸の三郷市との共同開催だそうだ。経緯は知らないが、花火大会で共催といえば費用を出し合うということだろう。そのせいか、例年よりも打ち上げの“間”がなくなったように感じられた。(ローカルらしいあの“間”もあれはあれでよかったが)
当地の花火大会は地元にとっては数少ない年中行事のひとつだが、もともとあまり盛大なものではない。小さな市のことで予算も少なく、市民の寄付金による“手づくり花火大会”の趣がある。花火大会のお知らせのチラシ裏には、小さな文字で寄付者名と金額が印刷されている。10万円、20万円というトップクラスは地元の電鉄会社や出店している大手流通業。次いで地元の企業や老舗。ふだんは目にとまらないような零細企業や商店が奮発しているケースもあれば、意外に渋いところもある。2000円くらいの欄には個人名も多く見られ、じっくりながめるとなかなか楽しいものだ。
そもそも河原で打ち上げる花火は、建物や樹木などの遮蔽物がないかぎりかなり遠くからでも見える。まして対岸からは、むしろこちらよりもよく見えるほどで、火花の明かりの中に向こうの土手上に並ぶ人影が浮かんで見える。すなわち共同開催は自然かつ妥当な選択だと思う。
隅田川や東京湾など大きな看板の大会はだいぶ前に終わっている。同じ江戸川流域でも何カ所も開催しており、ほかに運動公園とか手賀沼とか盛夏の宵は連日どこからか打ち上げ花火の音が聞こえてくる。だが、お盆がすんだこの時期ともなると何となく“遅咲きの花火”の感もある。近年は各地の河川や広場での花火大会が盛んで、この時期には花火職人は引っ張りだこだという。と聞けば、ローカルの大会が日程優先といかないのもムリはなく、それなりの風情を楽しめればよしと思う。
先日の“大江戸花火”だったか、民放テレビで中継放送しているのを何げなく見た。わかってはいたけれど、これがつまらない。くだらない。浴衣姿にうちわというタレントが何人も登場して、間断なくはしゃぐ。打ち上げ花火につきものである“間”の静けさや楽しみがない。ついでにいえば、NHKでも似たようなもの。旅番組でも美術館めぐりでも相撲中継でも、きまりごとのように芸能人が出てきて不要なおしゃべりや解説をする。それが煩わしいから音声を消して見たり、ついにはスイッチを切ってしまうこともある。演出者のマンネリとセンスの悪さに興醒めすることが多い。
夏の朝、土手を歩くと人家の近い場所には子ども達が遊んだ花火の残骸が散乱していることがよくある。ほかのゴミとちがって、これはほほえましく懐かしい光景でもある。もっともそれは線香花火やネズミ花火ならであって、近ごろは子どもの花火といえども大型化して太い筒を束ねたような大物が多いから、ちょっとかわいげがない。かなりの金額を費やして土手を散らかし放題のまま引き上げた子どもらを思うと、「親の顔を見たい」などと思ったりする。
先日、何かの番組で柴又帝釈天のそばで育ったという益子直美さんが、そこのお祭りのことを話していた。なかで耳にとまったのは“拾いもの”の楽しさということ。お祭りの翌朝「土手に行って来るね」と勇んで出かけた子ども達は、屋台があった近くや土手を歩いて目ざとく小銭を拾ったりする。彼女のようなきれいなお姉さんもそうであったかと、わが末っ子の幼いころを思い出して苦笑した次第。
by knaito57
| 2006-08-21 13:36
| ■ときどき日記
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Comments(6)
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den8den8t at 2006-08-21 14:29
江戸川は下流でも上流でも花火やるんですね。そういえば大停電の原因も江戸川だ。
花火大会というのは、かつては特別なイベントという趣がありましたが、この頃はほんとにあちこちでやるようになりましたね。昔は、逗子の花火大会も結構大イベントで土日とかにやっていたのですが、スポンサーの不足もあるのか、だんだんと影が薄くなって、今では7月の平日です。
隅田川の花火は、一度見に行って、スゴイ人にもまれて汗だくで早々に帰ってきました。
東京湾の花火は中央区が主催しているのですが、ことしは雨で一日延びて、人出もいつもの半分ちょっとくらいだったとか。
これも、晴海の会場で見るのがいちばんいいのですが、うちの部屋からもオオダマはそっくり見えるので、それで満足してます。
テレビに関しては江戸川兄の意見にまったく同感であります。だいたい、花火は写真にとってもダメだけど、テレビ中継するようなモンじゃない、ということからして、わかっとらん。
花火大会というのは、かつては特別なイベントという趣がありましたが、この頃はほんとにあちこちでやるようになりましたね。昔は、逗子の花火大会も結構大イベントで土日とかにやっていたのですが、スポンサーの不足もあるのか、だんだんと影が薄くなって、今では7月の平日です。
隅田川の花火は、一度見に行って、スゴイ人にもまれて汗だくで早々に帰ってきました。
東京湾の花火は中央区が主催しているのですが、ことしは雨で一日延びて、人出もいつもの半分ちょっとくらいだったとか。
これも、晴海の会場で見るのがいちばんいいのですが、うちの部屋からもオオダマはそっくり見えるので、それで満足してます。
テレビに関しては江戸川兄の意見にまったく同感であります。だいたい、花火は写真にとってもダメだけど、テレビ中継するようなモンじゃない、ということからして、わかっとらん。
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antsuan at 2006-08-21 19:15
幼子にとっては、花火の綺麗さも分からずただ泣き叫ぶばかり。あんまりそこら中でドンガドンガ打ち上げるのもどうかと思ってしまいます。花火を見飽きた野郎の独り言で御座います。
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saheizi-inokori at 2006-08-22 08:18
ドーンとあがって、「わーきれい」。つい声の主を見ればそっちの方がキレイな横顔が浮かび上がって・・。直ぐに暗くなるからこっちがボケッと見ていたことなんかばれない。まして赤い顔になっていたことなんか。
今の花火は暗闇も訪れず人ごみに押され、ついにはテレビで観覧、これはもう私の記憶に残っている花火ではないですね。
今の花火は暗闇も訪れず人ごみに押され、ついにはテレビで観覧、これはもう私の記憶に残っている花火ではないですね。
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散歩好き
at 2006-08-22 18:21
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川原の撮影は綺麗ですね。1度は足を運ぼうと思いますが
外にいる子供たちが帰ってくるので家でゆっくりとなります。
外にいる子供たちが帰ってくるので家でゆっくりとなります。
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knaito57 at 2006-08-22 19:54
皆様。食傷ぎみにも関わらず“遅咲きの花火”におつき合いいただきありがとうございます。他愛ない記事と(夜間撮影の設定がわからず)火玉が流れた画像でお目を汚しましたが、これも土手の風物のひとつゆえ──。
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cyclist_maki at 2006-08-24 19:51
最初の写真が特に気に入っています。
この日は出張でちょうど流山セントラルパークに戻ってきたとき花火見物を終えた人たちに遭遇しました。
浴衣の胸をはだけてすそが乱れた娘たちが多く美しくないというより汚い。親の顔が見たいと思ったら、うちの高2の下の娘はじんべい姿でした。お恥ずかしい。
この日は出張でちょうど流山セントラルパークに戻ってきたとき花火見物を終えた人たちに遭遇しました。
浴衣の胸をはだけてすそが乱れた娘たちが多く美しくないというより汚い。親の顔が見たいと思ったら、うちの高2の下の娘はじんべい姿でした。お恥ずかしい。