2006年 09月 03日
■夏草や…… |
先日は歩き出して間もなく鼻がモゾモゾしたと思ったら、くしゃみを連発、しきりに鼻水が出て困った。グスグスする鼻をティッシュで押さえながら歩く姿は颯爽とはいえず、せっかくの“だて男”も形なしだった。
わたしは花粉症体質で、数種類の植物にアレルギー反応を持っている。それもただの花粉症患者ではない。“専門家”といってもいい。ドーダ!というつもりはないが、近年は猫も杓子もさわぐスギなどは入門・基本編というべきで、当方はより本格的なヒノキ・ヨモギ・ブタクサ・カナムグラからイネ科植物まで間口が広く奥行きも深い。すなわち“遍歴の騎士”よろしく、年間の半分以上は何らかの花粉と闘っているわけだ。
いま、土手には夏草が繁茂している。除草車が頻繁に入ってそのつどクリクリに刈り込むのに、たちまち勢いを取り戻す野草の生命力にはすさまじいものがある。
背丈ばかりでなく、密集して全体がふくらむようにウォーキングコースにかぶさっている。両側から20〜30センチも狭めているから、正味の道幅は2メートルもない。わずか50センチほどの変化だが、すれ違うにも自転車に追い越されるにしても心理的圧迫感が増す。それを避けてなるべく端っこを歩くと野草が足元にからむ感じで、気がつくとズボンの裾がけっこう汚れている。
見れば、その草むらの大半はエノコログサとヒシバが占めている。そこから抜け出すようにアシ、ススキなどのイネ科植物が伸び始め、クズのつるがたけだけしく伸びている。花のない時期だが、それらに隠れるようにしてガガイモの花が甘い匂いを放っている。
緑ゆたかではあるが、早くも土手全体が心なしか荒れたように見える。伸び放題の夏草は白みをおびて、茶色がかった部分もある。実った穂先を重そうに垂れたエノコロが、風に揺れている。長い花序を八方に伸ばしたヒシバはすでに種子を落としはじめて、足元に白ごまのようにたまっている。芭蕉が「夏草や……」と詠んだのはもう少し後の季節だろうが、土手の緑の変化は明らかに夏の終わりと秋の近いことを告げている。そして、そんな中にヨモギやブタクサがしっかりと花穂をつけているのだ。
クシュン……グスン……チーン(聞き苦しい擬声語で失礼)
わたしはこれを毎年のようにくり返しているのだ。思い起こせば、この土手にデビューしたのは10年ほど前、8月の夕方だった。1 ウォーミングアップの時間
当初は土手のコースを闊歩する自信も、ウォーキングへのはっきりした期待もなかった。サラリーマン人生終盤の鬱屈した日々と閉塞感から逃れる思いで、休日の早朝に布団からはいずり出すような歩きだった。未明の土手を歩くとき、大リーグ野球のラジオを聞くのが楽しみだった。野茂投手の挑戦に思わず感情移入して応援したのは、自分の心情の反映だったのだろう。
そんな歳月を重ねるうちに、身体的な手応えや自然観察の愉しみや、何よりも土手歩きが心を解放して元気にしてくれる絶大な効果を持つことを知った。現在ではウォーキングが生活のリズムとなり、はばかりながらブログ開設につながって、思いがけない仲間に恵まれることにもなった。「初めの一歩」という言葉があるが、私の場合もすべては心もとないあの一歩から始まっているわけだ。
気がつくと虫たちの声がにぎやかだ。もうコスモスが咲き始めているし、間もなく彼岸花も咲く。小菊のはなしを書いたのが1年も前のこととは……無為な1年という悔いは、毎年同じくり返し。
そう。既視感か「いつか来た道」か。土手の暮らしは、豊かな季節感の移ろいとともにくり返されるのだ。サラリーマンのころは週末毎の規則正しい歩きで、一週間の変化に目を見張ることがよくあった。当時は季節に追いかけられるような気がしたものだが、近ごろでは逆に季節を追いかけているような感じさえする。年々、同じことをくり返しているつもりでも、自分自身に気づかない変化が起こっているような危惧──ヘッ、クシュン!
わたしは花粉症体質で、数種類の植物にアレルギー反応を持っている。それもただの花粉症患者ではない。“専門家”といってもいい。ドーダ!というつもりはないが、近年は猫も杓子もさわぐスギなどは入門・基本編というべきで、当方はより本格的なヒノキ・ヨモギ・ブタクサ・カナムグラからイネ科植物まで間口が広く奥行きも深い。すなわち“遍歴の騎士”よろしく、年間の半分以上は何らかの花粉と闘っているわけだ。
いま、土手には夏草が繁茂している。除草車が頻繁に入ってそのつどクリクリに刈り込むのに、たちまち勢いを取り戻す野草の生命力にはすさまじいものがある。
背丈ばかりでなく、密集して全体がふくらむようにウォーキングコースにかぶさっている。両側から20〜30センチも狭めているから、正味の道幅は2メートルもない。わずか50センチほどの変化だが、すれ違うにも自転車に追い越されるにしても心理的圧迫感が増す。それを避けてなるべく端っこを歩くと野草が足元にからむ感じで、気がつくとズボンの裾がけっこう汚れている。
見れば、その草むらの大半はエノコログサとヒシバが占めている。そこから抜け出すようにアシ、ススキなどのイネ科植物が伸び始め、クズのつるがたけだけしく伸びている。花のない時期だが、それらに隠れるようにしてガガイモの花が甘い匂いを放っている。
緑ゆたかではあるが、早くも土手全体が心なしか荒れたように見える。伸び放題の夏草は白みをおびて、茶色がかった部分もある。実った穂先を重そうに垂れたエノコロが、風に揺れている。長い花序を八方に伸ばしたヒシバはすでに種子を落としはじめて、足元に白ごまのようにたまっている。芭蕉が「夏草や……」と詠んだのはもう少し後の季節だろうが、土手の緑の変化は明らかに夏の終わりと秋の近いことを告げている。そして、そんな中にヨモギやブタクサがしっかりと花穂をつけているのだ。
クシュン……グスン……チーン(聞き苦しい擬声語で失礼)
わたしはこれを毎年のようにくり返しているのだ。思い起こせば、この土手にデビューしたのは10年ほど前、8月の夕方だった。1 ウォーミングアップの時間
当初は土手のコースを闊歩する自信も、ウォーキングへのはっきりした期待もなかった。サラリーマン人生終盤の鬱屈した日々と閉塞感から逃れる思いで、休日の早朝に布団からはいずり出すような歩きだった。未明の土手を歩くとき、大リーグ野球のラジオを聞くのが楽しみだった。野茂投手の挑戦に思わず感情移入して応援したのは、自分の心情の反映だったのだろう。
そんな歳月を重ねるうちに、身体的な手応えや自然観察の愉しみや、何よりも土手歩きが心を解放して元気にしてくれる絶大な効果を持つことを知った。現在ではウォーキングが生活のリズムとなり、はばかりながらブログ開設につながって、思いがけない仲間に恵まれることにもなった。「初めの一歩」という言葉があるが、私の場合もすべては心もとないあの一歩から始まっているわけだ。
気がつくと虫たちの声がにぎやかだ。もうコスモスが咲き始めているし、間もなく彼岸花も咲く。小菊のはなしを書いたのが1年も前のこととは……無為な1年という悔いは、毎年同じくり返し。
そう。既視感か「いつか来た道」か。土手の暮らしは、豊かな季節感の移ろいとともにくり返されるのだ。サラリーマンのころは週末毎の規則正しい歩きで、一週間の変化に目を見張ることがよくあった。当時は季節に追いかけられるような気がしたものだが、近ごろでは逆に季節を追いかけているような感じさえする。年々、同じことをくり返しているつもりでも、自分自身に気づかない変化が起こっているような危惧──ヘッ、クシュン!
by knaito57
| 2006-09-03 14:55
| ■ときどき日記
|
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Comments(7)
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散歩好き
at 2006-09-03 21:19
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アレルギーか偽アレルギーの問題があります。例えば小児ぜんそくも秋の入り口に多いのですが夏に冷水を無制限に飲み胃を冷やすと胃から肺経が出ていて胃の冷えが肺に影響を及ぼすと喘息になる事があります。肺経は鼻に通じ鼻炎になることもあります。若しknaito57さまがビールを愛飲しているのならば胃の冷えが気温の冷えと重なり鼻炎をおこす可能性も有ります。確かにブタクサやイネ科の植物の花粉がアレゲンの可能性も多いですが地球上の現象は千差万別です。色々な理論があり解決法も色々有りますが現代医学ばかりでなく原因をつかむのが解決方法と思いますが一筋0縄ではいきません。もしビールを愛飲しているのであれば暖かい飲み物に変えて結果がどうなるかをお試し下さい。
暴論失礼します。古ヶ崎のコスモス畑の休耕地が以前の1/3は有るのですがそこはブタクサの栽培地の感があります。
暴論失礼します。古ヶ崎のコスモス畑の休耕地が以前の1/3は有るのですがそこはブタクサの栽培地の感があります。
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antsuan at 2006-09-03 23:12
体力に自信がなくなって、のんびりゆっくり散歩を楽しむ事が出来たらと、思う日々です。
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knaito57 at 2006-09-04 10:22
散歩好きさま。懇切なアドバイスをありがとうございます。私は少年時からこの症状に苦しみ試行錯誤を重ねましたが、ご指摘のようにアレルギーの原因と処法は複雑で普遍的・根本的な決め手はなさそうです。ところが近年はシーズンでも何とか乗り切れるようになり「体質が変わったのでは」と原因の心当たりを2つ考えています。
A=生活習慣の変化(それまで無縁だったのが15年前からスポーツ人間に変身)
B=加齢に伴う細胞の変化などで反応が鈍くなった?
我田引水のようですが、自分ではウォーキング効果の“A”だと思っているのです。お気づきの点があれば、またお教えください。
A=生活習慣の変化(それまで無縁だったのが15年前からスポーツ人間に変身)
B=加齢に伴う細胞の変化などで反応が鈍くなった?
我田引水のようですが、自分ではウォーキング効果の“A”だと思っているのです。お気づきの点があれば、またお教えください。
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knaito57 at 2006-09-04 10:22
antsuanさんらしくない“弱音”に聞こえますが、硬派の正論・暴論(?)をぶちかますためにも体調管理とご自愛を……ところで“海の男”の散歩という図柄をイメージできないのですが、歩かなくても野草などなくても、やはりそれなりのものがあるのでしょうね。
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saheizi-inokori at 2006-09-04 10:47
たしかに繰り返される季節、その中で繰り返せない自分を感じるようになりました。
ちょっと前までは頭とは別に心の底ではいつまでも繰り返していけると思っていたのでした。
ちょっと前までは頭とは別に心の底ではいつまでも繰り返していけると思っていたのでした。
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knaito57 at 2006-09-05 17:24
鈍くなったのか、感じやすくなったのか──年々「ものの見方・感じ方」に変化を自覚します。お互い“年ごろ”なんですねえ、saheiziさん。
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cyclist_maki at 2006-09-07 17:47
子供の夏休みの宿題で植物の研究を手伝ったことがあります。エノコログサ、メヒシバ、オヒシバなどその時親が勉強したのでした。イネ科植物の多さにびっくり。そしてキク科植物の隆盛にも。