2006年 09月 10日
■土手の歌 |
夕方になると、対岸の埼玉県側から童謡『夕焼小焼』のチャイムが聞こえてくる。それから30分ずらして、こちらではドボルザークの『家路』が鳴る。月並みではあるが、どちらも気持になじむいい選曲だと思う。
『夕焼小焼』の歌詞(中村雨紅)は誰でも知っている。というよりも心にしみ込んでいるというべきか。
夕焼小焼で日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る
お手手つないで皆帰ろ 烏と一緒に帰りましょう
『家路』は交響曲『新世界より』の第2楽章の主題が後に“家路”と名付けられて以来、ポピュラーとなった。日本でもいくつか歌詞がつけられて、堀内敬三の「遠き山に日は落ちて 星は空をちりばめる」がよく知られている。わたしが学校で習ったのは「森のこずえ暮れ染めて」という歌い出しだったから、多分このメロディーを聴く人はそれぞれ違う歌詞を思い浮かべているのだろう。
共通するのは日暮れと帰宅のイメージ。このメロディを聴くだけで、子どものころの「もっと遊びたい……でももう帰らなくっちゃ」という夕暮れの情景がよみがえるから、音楽の力はすばらしいものだ。
しかし、考えてみるとどちらも平穏な日没を歌ったものだ──ずばり、川や土手を歌った曲はないのだろうか。
川をテーマにした歌や曲は、ジャンルを問わずたくさんある。待てよ……海の歌もいろいろあるぞ。浜辺も岬も、湖も湖畔もある……なのに、なんで“土手”の歌がないんだ?これは盲点だ、発見だ。
菅原洋一で大ヒットした『知りたくないの』は、かつて歌謡曲で使われたことのない“過去”という言葉を掘り起こした、なかにし礼のセンスに負うところ大だとか。そうだ。うん。“土手”でいけるぞ。
と昂奮して、歩きながらあれこれ考えた。
クラシックならワルツ「美しく青き江戸川」、ピアノ協奏曲「土手行進曲」、弦楽合奏「土手の四季」、交響曲第10番「土手」、バレエ組曲「軽鴨の土手」、歌曲集「美しき土手の娘」……どうかなあ。
歌謡曲なら「風の土手」「月影の土手」「独り土手」「土手音頭」「土手の女(ひとと読ませる)」……やっぱり涙・恋・別れ・酒なんかが必須か。ならば「土手の別れ」「涙の土手」「男と女の土手」……ダメかなあ。
いま、わたしは土手を歩きながらの思いつきと妄想を整理して、一編の文章にまとめるべく思案している。言われるまでもなく、じつにナンセンスな作業をしているという自覚はある。自分でも(なんてバカバカしいことに頭をひねっているんだ)と自嘲気味でさえある。けれども、なんだか面白いのだ。悪のりが、ではなくて、言葉の持つひびきとかイメージのふしぎにぶつかったような気がしてね。
というわけで、土手のすばらしい景色と叙情性が、なぜヒット曲にならないのか。
モンダイは“土手”に対する固定化したイメージと語感にありそうだ。すぐに「柳の土手」「土手の桜」とか、そうでなければ「土手鍋」とか「土手っ腹」を思い浮かべてしまうので、どうしても甘いムードや切ない情緒性に欠ける。
もっとも、ヒット曲の中で“土手”が登場する例がひとつだけある。三波春夫の『船方さん』だ。
♪おーい船方さん船方さんよォ 土手で呼ぶ声きこえぬかァ (あのはでな衣装、張りのある声と節回しが思い浮かぶ)
しょせん自分に作曲の才がないのだから、「土手の歌」は断念しよう。しかし、わたしは土手を歩くとき、メロディはなくても自然の楽曲を聴いているような気がする。もしかしたら、わが土手の歳月はそのまま「土手の詩」ということができるのかもしれない。
『夕焼小焼』の歌詞(中村雨紅)は誰でも知っている。というよりも心にしみ込んでいるというべきか。
夕焼小焼で日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る
お手手つないで皆帰ろ 烏と一緒に帰りましょう
『家路』は交響曲『新世界より』の第2楽章の主題が後に“家路”と名付けられて以来、ポピュラーとなった。日本でもいくつか歌詞がつけられて、堀内敬三の「遠き山に日は落ちて 星は空をちりばめる」がよく知られている。わたしが学校で習ったのは「森のこずえ暮れ染めて」という歌い出しだったから、多分このメロディーを聴く人はそれぞれ違う歌詞を思い浮かべているのだろう。
共通するのは日暮れと帰宅のイメージ。このメロディを聴くだけで、子どものころの「もっと遊びたい……でももう帰らなくっちゃ」という夕暮れの情景がよみがえるから、音楽の力はすばらしいものだ。
しかし、考えてみるとどちらも平穏な日没を歌ったものだ──ずばり、川や土手を歌った曲はないのだろうか。
川をテーマにした歌や曲は、ジャンルを問わずたくさんある。待てよ……海の歌もいろいろあるぞ。浜辺も岬も、湖も湖畔もある……なのに、なんで“土手”の歌がないんだ?これは盲点だ、発見だ。
菅原洋一で大ヒットした『知りたくないの』は、かつて歌謡曲で使われたことのない“過去”という言葉を掘り起こした、なかにし礼のセンスに負うところ大だとか。そうだ。うん。“土手”でいけるぞ。
と昂奮して、歩きながらあれこれ考えた。
クラシックならワルツ「美しく青き江戸川」、ピアノ協奏曲「土手行進曲」、弦楽合奏「土手の四季」、交響曲第10番「土手」、バレエ組曲「軽鴨の土手」、歌曲集「美しき土手の娘」……どうかなあ。
歌謡曲なら「風の土手」「月影の土手」「独り土手」「土手音頭」「土手の女(ひとと読ませる)」……やっぱり涙・恋・別れ・酒なんかが必須か。ならば「土手の別れ」「涙の土手」「男と女の土手」……ダメかなあ。
いま、わたしは土手を歩きながらの思いつきと妄想を整理して、一編の文章にまとめるべく思案している。言われるまでもなく、じつにナンセンスな作業をしているという自覚はある。自分でも(なんてバカバカしいことに頭をひねっているんだ)と自嘲気味でさえある。けれども、なんだか面白いのだ。悪のりが、ではなくて、言葉の持つひびきとかイメージのふしぎにぶつかったような気がしてね。
というわけで、土手のすばらしい景色と叙情性が、なぜヒット曲にならないのか。
モンダイは“土手”に対する固定化したイメージと語感にありそうだ。すぐに「柳の土手」「土手の桜」とか、そうでなければ「土手鍋」とか「土手っ腹」を思い浮かべてしまうので、どうしても甘いムードや切ない情緒性に欠ける。
もっとも、ヒット曲の中で“土手”が登場する例がひとつだけある。三波春夫の『船方さん』だ。
♪おーい船方さん船方さんよォ 土手で呼ぶ声きこえぬかァ (あのはでな衣装、張りのある声と節回しが思い浮かぶ)
しょせん自分に作曲の才がないのだから、「土手の歌」は断念しよう。しかし、わたしは土手を歩くとき、メロディはなくても自然の楽曲を聴いているような気がする。もしかしたら、わが土手の歳月はそのまま「土手の詩」ということができるのかもしれない。
by knaito57
| 2006-09-10 15:57
| ■ときどき日記
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Comments(7)
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散歩好き
at 2006-09-10 21:05
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既存の土手の歌です。
題は解りませんが♪土手のスカンポ ジャワ更紗・・♪
緑のギシギシとエンジのスカンポが春からずーと勢力があります。
ジャワ更沙の意味も子供の頃は解りませんでした。
題は解りませんが♪土手のスカンポ ジャワ更紗・・♪
緑のギシギシとエンジのスカンポが春からずーと勢力があります。
ジャワ更沙の意味も子供の頃は解りませんでした。
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knaito57 at 2006-09-11 10:13
そうか。童謡唱歌にはありそうですね。スカンポはいかにも土手の光景だし、菜の花・つくしを歌えば当然に“土手”となる。するどい発見だと思ったのですが、無知とはおそろしいもので……。
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antsuan at 2006-09-11 12:23
「土手ブルース」、「土手のワルツ」に「土手音頭」、いろいろ浮かんできますね。此方は先週地元神社の祭りでした。浴衣姿や法被姿など、やはり着物姿の方が美しく見えるのは歳の所為でしょうか。土手もどうしてもモダンなイメージがしませんね。しかし「伊勢佐木町ブルース」や「ブルーライト横浜」など、歌は新しいイメージを作ってくれます。もし「江戸川土手ブルース」などが流行ってしまったら、おちおち気軽に散歩出来なくなってしまいますね。
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knaito57 at 2006-09-11 14:49
文部科学省の「親子で歌いつごう日本の歌百選」に応募しようかしらん……とは冗談。歌などという主観と好みの問題におカミが折り紙をつけるってのは、ちとおかしいですよねえ。
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saheizi-inokori at 2006-09-14 10:41
土手のすかんぽ!勇んで書き込もうと思ったら散歩好きさんに先を越されてしまった。
でもあの歌、いいですね。ジャワ更紗なんて分からないのに歌っていました。私たちは小学一年生と歌いましたがホンとは尋常科というのだそうです。スカンポだって田舎ではスイバといっていたからイメージはなんとなく南国の土手かと思っていました。
「夏が来た来た」といって「ドレミフアソ」と上がって終わるところ、「今日も通ってまた帰る」の旋律、今思い出してもシャレた歌詞にメロデイですね。作詞者は苦し紛れにドレミフアソとやったのかも知れないですが〈笑。
でもあの歌、いいですね。ジャワ更紗なんて分からないのに歌っていました。私たちは小学一年生と歌いましたがホンとは尋常科というのだそうです。スカンポだって田舎ではスイバといっていたからイメージはなんとなく南国の土手かと思っていました。
「夏が来た来た」といって「ドレミフアソ」と上がって終わるところ、「今日も通ってまた帰る」の旋律、今思い出してもシャレた歌詞にメロデイですね。作詞者は苦し紛れにドレミフアソとやったのかも知れないですが〈笑。
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散歩好き
at 2006-09-18 21:08
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特定外来植物が有ってオオハンゴンソウもそうですが日本の植物の生態系に悪影響を与える外来植物があります。江戸川ではアレチウリの繁茂が眼に余り又コスモス畑の休耕地がブタクサ(特定外来植物で有りませんがknaito57さんの体調を崩します。)が栽培した様に茂っているので市の河川科にメールを入れたところ迅速に対処してくれました。行政も捨てたものでは有りません。
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knaito57 at 2006-09-19 06:50
さすが「すぐやる課」の松戸ですね。オオハンゴンソウはどこでも見かけますが、この夏東北を回ったときに目だちました。