2007年 03月 21日
●春分漫歩 |
春分の日。朝5時半。家人を悩ませる老人性早起き。ひと月も前はまだ暗かったものだが、もう十分に朝だ。「毎日が日曜日」の身とはいえ、シーズン到来に(きょうはしっかり歩くぞ)という高揚感がある。で、インスタントコーヒーを飲みながら天気予報とニュースを聴いてから、静かに家を出る。
薄曇り。土手にのぼる。まず目につくのは水涸れ気味の流れと菜の花の土手。あげヒバリ、ウグイス、キジの声。川岸に釣り人(もう、そんな季節なんだ)。カワヤナギの芽吹きがいっそう鮮やかさを増している。その茂みにギュイーと啼きながら飛び交うのはオナガ(これは初オナガだ)。土手じゅうの野草が息づき、行き交う人々も活力に満ちて見える。北方には日光連山が白く輝いている。
軍手で耳を摩擦しながら、自分のペースの歩きを心がける。ところが、目をうばわれるものが次々とあって、そのつど立ち止まってデジタルカメラを構えるからリズムに乗ることができない。あっちで引っかかりこっちでしゃがみ込む。まるで犬の散歩みたやうな(周五郎ふう)歩きで、身体もなかなか暖まらない。
童の供養碑のところに、先週はつぼみだった水仙が開いている。シャベル持参でノビルを掘り起こすおじさん、摘んだカラシナで一杯の袋をかかえた夫婦がいる。常連のおなじみさんのほかに、遠乗りに出かける自転車のグループもいる。
川岸に若い女性が立っている。厚いコートとナップザック、手には紙片。何か声を発している。
「あ・え・う・お・あ・え・い・お・う」(?)
放送か演劇界をめざしているのだろう。(歩いていても寒いのだから、じっとしていてはさぞ……)私が折り返して来たときもまだやっているのを見て、思わず鼻筋がツンとなった。観光とか貿易とか、こちらにはとんと不明な世界をめざした娘たちの姿と重なって見えたのかしれない。
あるいはわが心境の反映か。“もともと偏屈男”が社会という乗り合いバスから降りて、今や憚ることない“天下御免”の自由人。世の中を脇から眺めては嘲笑し、斜めに見ては斬り捨てる土手の隠遁者。そんなすれ枯らした感性が若者のひたむきさに揺さぶられたのかとも思う。
それに引き替え、市議候補の疎ましさはどうだ。いま、家の前を宣伝カーが通るたびに私はガラス戸を閉めて毒づく。「げす奴が……」
きょうはむやみと鳥の姿が目についた。川面にも岸辺にもカモの群。首を長くさしだして群で飛ぶのはガンの仲間か。ツグミ、ムクドリ、カラス、ハト……川岸の樹上ではめずらしく猛禽類を見かけた。枝から枝へすばやく飛ぶ小鳥をかろうじて撮ったが、残念ながら名前がわかるほど鮮明ではない。ましてウグイスなど木陰や草むらで啼く小鳥は、私の技術ではとてもカメラに捉えることができない。で、今回は江戸川風景の“散歩好き”さんはじめ詳しい人のご教示を期待して画像をまとめてアップした。
せめて帰路ぐらいはしっかりと歩こうと思ったものの、やはり立ち止まったり撮したり。本来の「歩くついでに自然観察」が逆に「自然観察のために移動」する仕儀となった。ウォーキングとはとてもいえないそぞろ歩き、漫歩。
きょうは手ぶらで帰って女房のハナをあかしてやろうと思ったのに、みずみずしくふくらんだ菜の花のつぼみひとつ摘んだらもういけない。弾みがついて次から次へとはい回り、ついには欲に目の色変えた野草摘みのおじさんとなる。
(うまそうだ。これも、これも……オレに釣りの心得あれば、河川敷に段ボールかテント小屋をつくって自活できそうだ)
そんなわけで帰宅したら9時すぎ。すぐにシャワーを浴びて朝食をしました──という小学生の作文のようなお粗末。今回は社会の時間に書いたように春分の日の土手風景を点描しようというだけのことで、あしからず。
注=2番目の鳥はきのう庭で撮したウグイスです。土手では撮れなかったので。
薄曇り。土手にのぼる。まず目につくのは水涸れ気味の流れと菜の花の土手。あげヒバリ、ウグイス、キジの声。川岸に釣り人(もう、そんな季節なんだ)。カワヤナギの芽吹きがいっそう鮮やかさを増している。その茂みにギュイーと啼きながら飛び交うのはオナガ(これは初オナガだ)。土手じゅうの野草が息づき、行き交う人々も活力に満ちて見える。北方には日光連山が白く輝いている。
軍手で耳を摩擦しながら、自分のペースの歩きを心がける。ところが、目をうばわれるものが次々とあって、そのつど立ち止まってデジタルカメラを構えるからリズムに乗ることができない。あっちで引っかかりこっちでしゃがみ込む。まるで犬の散歩みたやうな(周五郎ふう)歩きで、身体もなかなか暖まらない。
童の供養碑のところに、先週はつぼみだった水仙が開いている。シャベル持参でノビルを掘り起こすおじさん、摘んだカラシナで一杯の袋をかかえた夫婦がいる。常連のおなじみさんのほかに、遠乗りに出かける自転車のグループもいる。
川岸に若い女性が立っている。厚いコートとナップザック、手には紙片。何か声を発している。
「あ・え・う・お・あ・え・い・お・う」(?)
放送か演劇界をめざしているのだろう。(歩いていても寒いのだから、じっとしていてはさぞ……)私が折り返して来たときもまだやっているのを見て、思わず鼻筋がツンとなった。観光とか貿易とか、こちらにはとんと不明な世界をめざした娘たちの姿と重なって見えたのかしれない。
あるいはわが心境の反映か。“もともと偏屈男”が社会という乗り合いバスから降りて、今や憚ることない“天下御免”の自由人。世の中を脇から眺めては嘲笑し、斜めに見ては斬り捨てる土手の隠遁者。そんなすれ枯らした感性が若者のひたむきさに揺さぶられたのかとも思う。
それに引き替え、市議候補の疎ましさはどうだ。いま、家の前を宣伝カーが通るたびに私はガラス戸を閉めて毒づく。「げす奴が……」
きょうはむやみと鳥の姿が目についた。川面にも岸辺にもカモの群。首を長くさしだして群で飛ぶのはガンの仲間か。ツグミ、ムクドリ、カラス、ハト……川岸の樹上ではめずらしく猛禽類を見かけた。枝から枝へすばやく飛ぶ小鳥をかろうじて撮ったが、残念ながら名前がわかるほど鮮明ではない。ましてウグイスなど木陰や草むらで啼く小鳥は、私の技術ではとてもカメラに捉えることができない。で、今回は江戸川風景の“散歩好き”さんはじめ詳しい人のご教示を期待して画像をまとめてアップした。
せめて帰路ぐらいはしっかりと歩こうと思ったものの、やはり立ち止まったり撮したり。本来の「歩くついでに自然観察」が逆に「自然観察のために移動」する仕儀となった。ウォーキングとはとてもいえないそぞろ歩き、漫歩。
きょうは手ぶらで帰って女房のハナをあかしてやろうと思ったのに、みずみずしくふくらんだ菜の花のつぼみひとつ摘んだらもういけない。弾みがついて次から次へとはい回り、ついには欲に目の色変えた野草摘みのおじさんとなる。
(うまそうだ。これも、これも……オレに釣りの心得あれば、河川敷に段ボールかテント小屋をつくって自活できそうだ)
そんなわけで帰宅したら9時すぎ。すぐにシャワーを浴びて朝食をしました──という小学生の作文のようなお粗末。今回は社会の時間に書いたように春分の日の土手風景を点描しようというだけのことで、あしからず。
注=2番目の鳥はきのう庭で撮したウグイスです。土手では撮れなかったので。
by knaito57
| 2007-03-21 15:06
| ●土手のたはこと
|
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Comments(12)
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antsuan at 2007-03-22 03:01
マンション群が近くに出来たせいか、わが家にはまだ鴬がやって来ませんが、鎌倉に墓参りに行った時に鳴き声を聞きました。谷あいにこだまする鳥の鳴き声、これも好いですねぇー。
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saheizi-inokori at 2007-03-22 10:15
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散歩好き
at 2007-03-22 12:47
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写真からもknaitoさんの文章も春らしく弾むような感じがします。
小生は草の名は「何の花?掲示板」に写真を貼って聞いています。
鳥は以前はブラボーバードと言うサイトで聞いていたのですがそれが
クローズしたので困っています。江戸川風景にアップして間違いを指摘
してくれる方があるので本で調べそれらしい名を書き込み直す物は直します。
私の意見では1ノスリ2ウグイス3左ホオジロ3右モズ4左ベニマシコ♀?4右ホオジロですがいかがでしょうか。
小生は草の名は「何の花?掲示板」に写真を貼って聞いています。
鳥は以前はブラボーバードと言うサイトで聞いていたのですがそれが
クローズしたので困っています。江戸川風景にアップして間違いを指摘
してくれる方があるので本で調べそれらしい名を書き込み直す物は直します。
私の意見では1ノスリ2ウグイス3左ホオジロ3右モズ4左ベニマシコ♀?4右ホオジロですがいかがでしょうか。
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knaito57 at 2007-03-22 15:12
鎌倉はもちろんantsuanさんの葉山では小鳥も多いでしょうね。近年、カッコウが減りウグイスが人家近くに出るようになったとか。メジロやオナガも増えているようです。ヨットライフが羨ましいときには「海には小鳥も野草もないから」と、イソップのキツネみたいな負け惜しみをつぶやきます。
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knaito57 at 2007-03-22 15:38
「いちめんのなのはな(山村暮鳥)」や「菜の花畠に入り日薄れ(詞・高野辰之)」は日本人の原風景ですね。でも桜や菊とはまったく異質。前者がステーキか天ぷらならば菜の花は芋の煮付けか漬け物──つまり一過性ではなく、心の奥底にしみ込んでいる光景。
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knaito57 at 2007-03-22 15:58
これが「江戸川風景」で活躍するノスリですかあ。猛禽類を見つけるとトクした気分になります。私には飛んでいるやつは撮せないので、注意深く樹上や枝先を探索しています。ウグイスは庭の植え込みの中で上手に啼いていたのをかろうじて撮った苦心の一枚です。モズは言われてみればなるほど、ですね、おかげさまで鳥の知識がふえました。ありがとうございます。
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散歩好き
at 2007-03-22 17:25
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ウグイスを是だけはっきり撮れるのは撒餌が良かったのですね。
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at 2007-03-22 20:09
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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knaito57 at 2007-03-23 07:09
「ラーメンよりうどん、うどんよりも蕎麦」という麺類大好き人間ですが、話題のラーメンなので機会あればと、また味も盛りも値段も元祖本店と近いものであるといいなと思います。プロである“近所”さんの評価が楽しみです。
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近所
at 2007-03-23 12:21
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蕎麦屋だった祖父はラーメンを敵視していたようなので、子供の頃は見つからないように食べましたが、ただの蕎麦と汁しかないもりかけに比べ、同じ値段でチャーシュー、鳴門、シナ竹の入っているラーメンでは、どう考えても、魅力はラーメンでした。あのシンプルなもりかけの味がわかり始めたのは、二十歳をはるかに過ぎてからだったように記憶しています(やぶそばのもりかけがきっかけ)。
最近のラーメンは鶏がら、ぶたの骨だけでなく、さかなの“だし”も使うのが、当然のようになってきているようですが、頭と同様に舌も硬くなってきたのか、よく行く店は舌がなじんでしまった、昔ながらのとり、ぶたのスープの店です。でも大勝軒は大いに楽しみですが、食べ切れなさそうな大分量が気がかり・・・
最近のラーメンは鶏がら、ぶたの骨だけでなく、さかなの“だし”も使うのが、当然のようになってきているようですが、頭と同様に舌も硬くなってきたのか、よく行く店は舌がなじんでしまった、昔ながらのとり、ぶたのスープの店です。でも大勝軒は大いに楽しみですが、食べ切れなさそうな大分量が気がかり・・・
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散歩好き
at 2007-03-23 12:43
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今日はknaito57さんに負けじとウグイスに忍び寄り接近したのですがファインダーにウグイスが入ってこず失敗でした。うぐいす2の最後に写真を付け加えました。
このコーナー下4枚の写真は4左を除いてはモズみたいです。
このコーナー下4枚の写真は4左を除いてはモズみたいです。
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knaito57 at 2007-03-26 06:55
親に隠れてですかあ。でも育ち盛りにはラーメンですね。かつて「食べきったらタダ」という店に長男を連れて行ったときの、洗面器ほど大きいラーメンを思い出しました。