2008年 04月 21日
◎夕日と夕焼け |
先日「土手には菜の花がよく似合ふ」と書いたすぐあと、テレビで「相模川の土手はシバザクラが満開」とやっていた。それもいいだろうなあ、各地の土手のようすを知りたいものだと思う。
母が、まるひと月の入院生活から帰還した。で、週末の老老介護と歌謡三昧も復活した。
隠居所でよく見る歌ビデオのひとつに、NHK『叙情歌大全集』というのがある。司会の由紀さおりに「お好きな歌は?」と問われて、ゲストの山田洋次監督が答える。
──そおねえ。『夕焼小焼』、『赤とんぼ』。まずはそんなところかな。
所在なく何度もくり返し見るから、天下御免の“元もと偏屈男”はいろんなことを考える。
・この人は歌好きというほどじゃないな。数多ある歌のなかから二つだけ、こうさらっといえるのは不自然だ。誠実できまじめなオレなら、好きな音楽や映画を二三あげろといわれたら頭を抱えるほど呻吟するだろうな。
・第一、ゲストという演出制作手法が気にいらん。テレビ屋というのは発想が貧困なのかマンネリゆえか、何かというとすぐ有名人をゲスト出演させる。結果、こちらはそのどうでもいい話を聞かされるから面白くない。
・なんで「そおねえ」なんだ。マイクを向けられたタレントやスポーツ選手が一問ごとに「そおですね」から答えるのは、政治家の「ええ……」ほどに無意味だ。時間稼ぎのテクニックか知れないが、頭の空っぽぶりをさらけ出しているように思われる。簡潔に「はい」とか「うん」とか、それもなしにすぐ答えに入るほうが好ましい。
・どうせ事前の打ち合わせがあって、番組の趣旨に合った答えが準備されていたのだろう。これは一種の“やらせ”だな。
いきなり変な話になってしまった。近ごろ不愉快な世相で、偏屈に輪をかけてうつうつとした気分でいるのでつい……。
さて山田監督に戻る。「その歌がお好きなのはなぜ?」と、甘い声で訊かれて
──ぼくは子どものころから夕焼けが好きでねえ。寅さんの映画でも夕焼けシーンを何度撮ったかしれない。
──旧満州というのはひたすら平野。山がないんですから、360度パノラマでね。太陽は地平線の彼方に沈むわけで、山のお寺の鐘とかの歌詞に「内地というのはそんなところなのかなあ」と想像したものです。
広大な大陸と家から5分の江戸川土手の光景が似ているわけはない。けれども景色の時間に書いたように、展望の大きさにおいては共通するものを感じる。そこで今回は「夕日・夕焼け」の話。
土手歩きは季節と時刻を問わない。四季折々の楽しみがあり、早朝・日中・夕方それぞれに異なった趣があるから。
土手を歩き始めた当時は会社勤めをしていたから、歩くのは休日の早朝にかぎられていた。そこで朝日の神々しさを再発見した。相当くたびれたサラリーマンだったから、世間がまだ眠っているときの土手の光景はまるで別世界のように思えた。以来、朝のすがすがしさに魅せられて、すっかり朝型人間に変わった。
それが、数年前に退職引退してから昼下がりとか夕方に歩くことが多くなり、つれて夕映えの美しさを再認識することになった。そして夕景色が大好きになった。朝日から夕日、かわたれからたそがれへの宗旨変えともいえる。
朝日・日の出・旭日には“勢い”がある。富士山や九十九里浜からいち早く初日を拝んでその隆盛にあやかろうというのも人情だ。
対して夕日・落日・斜陽には“安らぎ”や“郷愁”がある。これを礼拝する宗教はあまり聞かないが、ミレーの絵にあるように感謝の祈りをささげるのもまた自然な感情だろう。そして叙情性においては、確かに朝日よりも夕日がまさる。
♪♪夕焼小焼で日が暮れて(中村雨紅作詞『夕焼小焼』)
♪♪夕焼小焼の赤とんぼ(三木露風作詞『赤とんぼ』)
後者は、日本人がいちばん愛唱する歌というデータもあるそうだ。
♪♪夕焼け空がまっかっか とんびがぐるりと輪をかいた(矢野亮作詞『夕焼けとんび』)
♪♪夕空晴れて秋風吹き 月影落ちて鈴虫鳴く(大和田建樹作詞『故郷の空』)
♪♪秋の夕日に照る山紅葉(高野辰之作詞『紅葉』)
『三丁目の夕日』も朝日では具合が悪い。インド洋の夕日が最高とか、日本海沿いの各地に夕日の名所があるとか、あげ出すときりがない。当地でもキサキの友人に「夕日を見るために土手に行く」という夫妻がいるそうだ。
疲れを知らずに遊んだ子どものころ、あちこちから聞こえてきた「ごはんだよお」という母親の声。初夏には勤め帰りの家路もまだ少し明るく、そんな夕まぐれには何もかもやさしく見える。山田監督は「夕日を見ると心が浄化されるよう」だと話していた。K・ヘプバーンとH・フォンダが老いを迎えた夫妻を演じた映画『黄昏』(原題は“金色の池”)では池の水面が夕日に輝いていた。
母が、まるひと月の入院生活から帰還した。で、週末の老老介護と歌謡三昧も復活した。
隠居所でよく見る歌ビデオのひとつに、NHK『叙情歌大全集』というのがある。司会の由紀さおりに「お好きな歌は?」と問われて、ゲストの山田洋次監督が答える。
──そおねえ。『夕焼小焼』、『赤とんぼ』。まずはそんなところかな。
所在なく何度もくり返し見るから、天下御免の“元もと偏屈男”はいろんなことを考える。
・この人は歌好きというほどじゃないな。数多ある歌のなかから二つだけ、こうさらっといえるのは不自然だ。誠実できまじめなオレなら、好きな音楽や映画を二三あげろといわれたら頭を抱えるほど呻吟するだろうな。
・第一、ゲストという演出制作手法が気にいらん。テレビ屋というのは発想が貧困なのかマンネリゆえか、何かというとすぐ有名人をゲスト出演させる。結果、こちらはそのどうでもいい話を聞かされるから面白くない。
・なんで「そおねえ」なんだ。マイクを向けられたタレントやスポーツ選手が一問ごとに「そおですね」から答えるのは、政治家の「ええ……」ほどに無意味だ。時間稼ぎのテクニックか知れないが、頭の空っぽぶりをさらけ出しているように思われる。簡潔に「はい」とか「うん」とか、それもなしにすぐ答えに入るほうが好ましい。
・どうせ事前の打ち合わせがあって、番組の趣旨に合った答えが準備されていたのだろう。これは一種の“やらせ”だな。
いきなり変な話になってしまった。近ごろ不愉快な世相で、偏屈に輪をかけてうつうつとした気分でいるのでつい……。
さて山田監督に戻る。「その歌がお好きなのはなぜ?」と、甘い声で訊かれて
──ぼくは子どものころから夕焼けが好きでねえ。寅さんの映画でも夕焼けシーンを何度撮ったかしれない。
──旧満州というのはひたすら平野。山がないんですから、360度パノラマでね。太陽は地平線の彼方に沈むわけで、山のお寺の鐘とかの歌詞に「内地というのはそんなところなのかなあ」と想像したものです。
広大な大陸と家から5分の江戸川土手の光景が似ているわけはない。けれども景色の時間に書いたように、展望の大きさにおいては共通するものを感じる。そこで今回は「夕日・夕焼け」の話。
土手歩きは季節と時刻を問わない。四季折々の楽しみがあり、早朝・日中・夕方それぞれに異なった趣があるから。
土手を歩き始めた当時は会社勤めをしていたから、歩くのは休日の早朝にかぎられていた。そこで朝日の神々しさを再発見した。相当くたびれたサラリーマンだったから、世間がまだ眠っているときの土手の光景はまるで別世界のように思えた。以来、朝のすがすがしさに魅せられて、すっかり朝型人間に変わった。
それが、数年前に退職引退してから昼下がりとか夕方に歩くことが多くなり、つれて夕映えの美しさを再認識することになった。そして夕景色が大好きになった。朝日から夕日、かわたれからたそがれへの宗旨変えともいえる。
朝日・日の出・旭日には“勢い”がある。富士山や九十九里浜からいち早く初日を拝んでその隆盛にあやかろうというのも人情だ。
対して夕日・落日・斜陽には“安らぎ”や“郷愁”がある。これを礼拝する宗教はあまり聞かないが、ミレーの絵にあるように感謝の祈りをささげるのもまた自然な感情だろう。そして叙情性においては、確かに朝日よりも夕日がまさる。
♪♪夕焼小焼で日が暮れて(中村雨紅作詞『夕焼小焼』)
♪♪夕焼小焼の赤とんぼ(三木露風作詞『赤とんぼ』)
後者は、日本人がいちばん愛唱する歌というデータもあるそうだ。
♪♪夕焼け空がまっかっか とんびがぐるりと輪をかいた(矢野亮作詞『夕焼けとんび』)
♪♪夕空晴れて秋風吹き 月影落ちて鈴虫鳴く(大和田建樹作詞『故郷の空』)
♪♪秋の夕日に照る山紅葉(高野辰之作詞『紅葉』)
『三丁目の夕日』も朝日では具合が悪い。インド洋の夕日が最高とか、日本海沿いの各地に夕日の名所があるとか、あげ出すときりがない。当地でもキサキの友人に「夕日を見るために土手に行く」という夫妻がいるそうだ。
疲れを知らずに遊んだ子どものころ、あちこちから聞こえてきた「ごはんだよお」という母親の声。初夏には勤め帰りの家路もまだ少し明るく、そんな夕まぐれには何もかもやさしく見える。山田監督は「夕日を見ると心が浄化されるよう」だと話していた。K・ヘプバーンとH・フォンダが老いを迎えた夫妻を演じた映画『黄昏』(原題は“金色の池”)では池の水面が夕日に輝いていた。
by knaito57
| 2008-04-21 11:48
| ◎土手の細道
|
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Comments(8)
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saheizi-inokori at 2008-04-21 15:16
日が上がってしまってからの朝のキラキラした光もいいです。
それを歌った歌を知らないです。
もっともこれは日ではなく光でした。
それを歌った歌を知らないです。
もっともこれは日ではなく光でした。
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knaito57 at 2008-04-21 16:18
夕霧とか夕顔ならを佳人を連想するけれど、朝霧・朝顔では特急列車や便器を。朝潮太郎(古いね)は強そうだけれど、夕日新聞はつぶれそう。朝摘みいちごは前日の朝のものでも新鮮そうだし“朝帰り佐平次”はたとえ夜勤で頑張ったとしてもイメージがよろしくない……。
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散歩好き
at 2008-04-21 16:29
x
漢方では陰陽五行説で解釈する事が多いです。
1日では夕方は1年では秋方角は西、五臓では肺、五志は憂、五神は魄
この関連で見ると五志所謂感情は「憂い」で日本人には一番あっているのでしょう。
ちなみに肝=怒、心=喜、脾(胃)=思、腎=悲驚恐を感じます。
1日では夕方は1年では秋方角は西、五臓では肺、五志は憂、五神は魄
この関連で見ると五志所謂感情は「憂い」で日本人には一番あっているのでしょう。
ちなみに肝=怒、心=喜、脾(胃)=思、腎=悲驚恐を感じます。
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knaito57 at 2008-04-21 17:47
散歩好きさん。半分くらいしか理解できないのですが、それでもこの理論は夕日とか夕方に対するヒトの生理と心理を裏付けているように思います。庶民の素朴な感情というのもバカになりませんね。
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antsuan at 2008-04-21 20:31
黄金色の海に沈む夕日、影濃い山に沈む夕日、しかし、平原に沈む夕日はどんなものなのでしょうか。山田洋次監督は満州出身だったんですか。初めて知りました。
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knaito57 at 2008-04-22 08:09
antsuanさん。秋田の海辺なら水平線の彼方でしょうが、葉山ではやはり夕日は山蔭に沈むのでしょうね。ヨットから眺める夕日はどんなものなのでしょう。私は海には無縁の人間ですが、想像するだけでも感銘深い光景だと思います。
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knaito57 at 2008-05-11 18:10
kemukemuさん、江戸川土手へようこそ。老老介護で童謡から演歌まで歌ビデオを聴くことが多く、それを自然観察に織り込んだ駄文を重ねています。これからもよろしくお願いします。