2010年 12月 30日
■年末総括──3日に1度 |
今年は「3日に1度12㎞、月に10回」とコンスタントに歩い
た。卓上カレンダーの○印を見ると11個の月が2度あるので、
年間122日、合計1464㎞。ざっと東京から鹿児島や網走までの
距離だろうか。
これまたヒマなればこそだが、われながら呆れるほどの規則
正しさである。実感としてこのペースは「ムリがなくやや余裕」
「疲労よりも快感」で、貴重な生活リズムを生み出している。
下界(土手から見て)では今年も大ニュース・怪事件が相次
いだが、何といっても「気象異変の一年」という印象が強い。
それは世界各地においてさまざまな形で現れて人々を驚嘆させ
たが、日本では記録的猛暑ではなかろうか。ことに東日本では
悲鳴をあげるほどに少雨&暑い日が長くつづいた。こんな時期
に熱中症で倒れたりしては歩きの専門家として不面目だし、高
齢者としてみっともない。だから慎重に水分を補給して、もっ
ぱら日の出前に歩いた。
見慣れた場所を往復するだけなのだから、特筆することもな
い。それでも常連なればこそ目につく変化というのもあるわけ
で、それを述べて一年の総括としたい。
いちばん目につくのは土木工事の進捗具合である。すでに三
年越しでなお続いている土手の改修事業は私の「縄張り」にお
いては関係ないが、対岸や下流では大きな変貌をもたらしてい
る。
遠望するかぎり、対岸埼玉県側の土手の変化はわからない。
目立つのは川岸から土手に至る、サッカーやゴルフ場があった
ゾーンだ。岸辺の樹木を切り、川岸を削り、川底を浚渫したた
め川幅が広くなった。その結果、少し水量が増えただけで水没
するから川幅は一気に倍増、わずかな樹木とともに残されたか
つての川岸が中之島のように見える。場所によっては中央分離
帯をはさんで平行に流れる二本の川みたいだ。素人考えではこ
の地域に遊水池の機能を持たせたものと思われる。
川岸の風情はいちじるしく損なわれた。春に多様多彩な緑の
重なり合いを見せた川岸は、人工的で扁平なものとなった。こ
の夏、カッコウの声を聞くことが少なかったのは、異常気象よ
りも高木の伐採と絶え間ない重機やダンプカーの騒音のせいだ
ろう。
下流の松戸方面へ足を延ばすと劇的な変化を実感することに
なる。土手自体が厚み(伴ってノリ面の幅も)を加えていっそ
う頼もしくなった。驚いたのは土手トップの「自転車・歩行者
専用道」の拡張だ。なんと細道だった従前の3倍増、りっぱな自
動車道路といえる偉容である。そのゆえか、ここは行き交う者
相互の緊張感や親密感が希薄で、これまで馴染んだ土手ワール
ドとは異なる世界だ。6畳一間暮らしの人間が3LDKに変わった
ような感覚の違いにとまどうほどである。当然に挨拶の光景も
見られない。
テレビが報じた事業仕分けによると「スーパー堤防は緊急度
が低いスーパー無駄使い」とかで計画見送りとなった。だから、
流域の各地で行われているこのような大土木事業の今後はわか
らない。

8月のある日、キツネを目撃した。キジともちがう声に首を
かしげながら歩いていると、地元のおばさんが数人土手下の草
むらを指さしている。それが灰茶色をしたキツネだった。これ
までにもイタチやタヌキを見かけたことはあるが初めてだ。さ
すがに今年話題のクマや イノシシこそ現れないが、地球規模の
気象異変がつづくと50年もすればこの草原をライオンが駈け、
水辺にワニが出没するかもしれない(妄想録)。
やはり猛暑の影響か、彼岸花の開花は例年よりも10日ほど遅
かった。柿の実のなり具合も明らかに少なかった。
9月には皇太子殿下とオランダのアレキサンダー皇太子が運
河を訪れた。「利根運河通水120周年」を記念して技師ムルデ
ルの事跡を訪問したもので、国連「水と衛生に関する諮問委員
会」名誉総裁である殿下が同行された。当日は時ならぬ交通規
制もあったそうだが、皇太子は「都心から近いのに、のどかで
とてもゆったりとした雰囲気を味わえました」とか。
11月のこと、二人の鷹匠を見かけた。これも初体験だ。とも
に左腕にとまった鷹は男たちの頭より高く悠然として見えた。
数年前に開業したつくばエクスプレス「流山おおたかの森」駅
とその森から遠くないのだから不思議ではないが、江戸時代に
戻ったような情景だった。
土手を歩く人だけでなく、競技用自転車でトレーニングする
人もますます増えた。先日は三人のおじ(い)さんが立ち話を
しているところに、疾走してきた自転車から「あぶないよお」
──走り去った後、ひとりが「あぶないよはないよなあ」。こ
んな場合、チリンと遠慮がちにベルを鳴らすか「とおりまあ
す」と声をかけるのがふつうであり、私にはどちらの気持ちも
よくわかるので、しばし言葉づかいの妙について考えながら歩
いたものだ。
土手の下に無人の社がふたつある。私は信仰心が薄いだけで
なく、宗教には反発を感じる偏屈なので普段は気にもとめな
い。ところが、人けもないそんな場所で手を合わせている人の
姿を見てなにか安らいだ気持ちになることがある。土手の功徳
か、自然界の浄化作用だろうか。
わが土手遍歴も長く、間もなく「土手の上にも20年」とな
る。当初は運動志向で「江戸川速歩」などと気負ったものだ
が、トシとともに円熟した証に以後は「土手上憶良」もしくは
「エドガー・ド・サガン」を名乗ろうかなどと考えている。
★明治40年生まれの母は桜町ホームに健在で、先日自宅に
連れ帰って103歳の誕生日を祝いました。
当ブログを覗いてくださる方に訪問を謝し、更新なしとい
う日頃の無愛想をお詫びいたします。先日、土手の下にあで
やかな花(名前不明)を見かけたのでご披露いたします。で
は皆様、よい年をお迎えください。
た。卓上カレンダーの○印を見ると11個の月が2度あるので、
年間122日、合計1464㎞。ざっと東京から鹿児島や網走までの
距離だろうか。
これまたヒマなればこそだが、われながら呆れるほどの規則
正しさである。実感としてこのペースは「ムリがなくやや余裕」
「疲労よりも快感」で、貴重な生活リズムを生み出している。
下界(土手から見て)では今年も大ニュース・怪事件が相次
いだが、何といっても「気象異変の一年」という印象が強い。
それは世界各地においてさまざまな形で現れて人々を驚嘆させ
たが、日本では記録的猛暑ではなかろうか。ことに東日本では
悲鳴をあげるほどに少雨&暑い日が長くつづいた。こんな時期
に熱中症で倒れたりしては歩きの専門家として不面目だし、高
齢者としてみっともない。だから慎重に水分を補給して、もっ
ぱら日の出前に歩いた。
見慣れた場所を往復するだけなのだから、特筆することもな
い。それでも常連なればこそ目につく変化というのもあるわけ
で、それを述べて一年の総括としたい。
いちばん目につくのは土木工事の進捗具合である。すでに三
年越しでなお続いている土手の改修事業は私の「縄張り」にお
いては関係ないが、対岸や下流では大きな変貌をもたらしてい
る。
遠望するかぎり、対岸埼玉県側の土手の変化はわからない。
目立つのは川岸から土手に至る、サッカーやゴルフ場があった
ゾーンだ。岸辺の樹木を切り、川岸を削り、川底を浚渫したた
め川幅が広くなった。その結果、少し水量が増えただけで水没
するから川幅は一気に倍増、わずかな樹木とともに残されたか
つての川岸が中之島のように見える。場所によっては中央分離
帯をはさんで平行に流れる二本の川みたいだ。素人考えではこ
の地域に遊水池の機能を持たせたものと思われる。
川岸の風情はいちじるしく損なわれた。春に多様多彩な緑の
重なり合いを見せた川岸は、人工的で扁平なものとなった。こ
の夏、カッコウの声を聞くことが少なかったのは、異常気象よ
りも高木の伐採と絶え間ない重機やダンプカーの騒音のせいだ
ろう。
下流の松戸方面へ足を延ばすと劇的な変化を実感することに
なる。土手自体が厚み(伴ってノリ面の幅も)を加えていっそ
う頼もしくなった。驚いたのは土手トップの「自転車・歩行者
専用道」の拡張だ。なんと細道だった従前の3倍増、りっぱな自
動車道路といえる偉容である。そのゆえか、ここは行き交う者
相互の緊張感や親密感が希薄で、これまで馴染んだ土手ワール
ドとは異なる世界だ。6畳一間暮らしの人間が3LDKに変わった
ような感覚の違いにとまどうほどである。当然に挨拶の光景も
見られない。
テレビが報じた事業仕分けによると「スーパー堤防は緊急度
が低いスーパー無駄使い」とかで計画見送りとなった。だから、
流域の各地で行われているこのような大土木事業の今後はわか
らない。

8月のある日、キツネを目撃した。キジともちがう声に首を
かしげながら歩いていると、地元のおばさんが数人土手下の草
むらを指さしている。それが灰茶色をしたキツネだった。これ
までにもイタチやタヌキを見かけたことはあるが初めてだ。さ
すがに今年話題のクマや イノシシこそ現れないが、地球規模の
気象異変がつづくと50年もすればこの草原をライオンが駈け、
水辺にワニが出没するかもしれない(妄想録)。
やはり猛暑の影響か、彼岸花の開花は例年よりも10日ほど遅
かった。柿の実のなり具合も明らかに少なかった。
9月には皇太子殿下とオランダのアレキサンダー皇太子が運
河を訪れた。「利根運河通水120周年」を記念して技師ムルデ
ルの事跡を訪問したもので、国連「水と衛生に関する諮問委員
会」名誉総裁である殿下が同行された。当日は時ならぬ交通規
制もあったそうだが、皇太子は「都心から近いのに、のどかで
とてもゆったりとした雰囲気を味わえました」とか。
11月のこと、二人の鷹匠を見かけた。これも初体験だ。とも
に左腕にとまった鷹は男たちの頭より高く悠然として見えた。
数年前に開業したつくばエクスプレス「流山おおたかの森」駅
とその森から遠くないのだから不思議ではないが、江戸時代に
戻ったような情景だった。
土手を歩く人だけでなく、競技用自転車でトレーニングする
人もますます増えた。先日は三人のおじ(い)さんが立ち話を
しているところに、疾走してきた自転車から「あぶないよお」
──走り去った後、ひとりが「あぶないよはないよなあ」。こ
んな場合、チリンと遠慮がちにベルを鳴らすか「とおりまあ
す」と声をかけるのがふつうであり、私にはどちらの気持ちも
よくわかるので、しばし言葉づかいの妙について考えながら歩
いたものだ。
土手の下に無人の社がふたつある。私は信仰心が薄いだけで
なく、宗教には反発を感じる偏屈なので普段は気にもとめな
い。ところが、人けもないそんな場所で手を合わせている人の
姿を見てなにか安らいだ気持ちになることがある。土手の功徳
か、自然界の浄化作用だろうか。
わが土手遍歴も長く、間もなく「土手の上にも20年」とな
る。当初は運動志向で「江戸川速歩」などと気負ったものだ
が、トシとともに円熟した証に以後は「土手上憶良」もしくは
「エドガー・ド・サガン」を名乗ろうかなどと考えている。
★明治40年生まれの母は桜町ホームに健在で、先日自宅に
連れ帰って103歳の誕生日を祝いました。
当ブログを覗いてくださる方に訪問を謝し、更新なしとい
う日頃の無愛想をお詫びいたします。先日、土手の下にあで
やかな花(名前不明)を見かけたのでご披露いたします。で
は皆様、よい年をお迎えください。
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by knaito57
| 2010-12-30 13:52
| ◎土手の細道
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