2008年 06月 30日
◎下流(南)へ |
早いもので、今年も半分過ぎようとしている。「もう半分過ぎちゃった」ではなく「まだ半分残っている」と考えるのがプラス思考だというが、性分なのか年齢のせいか、なくなってしまったほうに意識が向いてしまう。
あやしい空模様の、平日の昼下がり。いくつか用件をかねて自転車で松戸に向かう。松戸は9キロほど下流にある繁華な街で、“散歩好き”さんはじめ“近所”“本町”さんの本拠地でもある。
「海から29㎞」の土手にのぼる。無一物で北へ向かういつもとちがって、財布などポケットに“乗り物”で南をめざすとなると一種の高揚感がある。
川面に翼を広げたカワウが浮かんでいる。この辺に棲みついているやつだ。
流山橋と武蔵野線をくぐり抜けて、ふたたび「自転車・歩行者専用」路にのぼる。ここからの河川敷には運動場がつづいているが、雨水が残るグラウンドには人影はない。
25㎞地点。つくばエクスプレスが川を跨いでいる手前、春にはシロバナタンポポが見られる場所でシロツメクサの群生を発見。おそらく流域でも一番の密生地だろう。
つくばエクスプレスの下をくぐる。この新線は地域生活に多大なインパクトを及ぼしたが、そばで見るとモノレールのように小ぶりで静かに走行している。
川に並行して野田街道が通り、合間には住宅が並んでいる。それが途切れたところに小さな神社があり、消却炉の煙突がそびえている。その下に30年来トマトの苗を買い求めている園芸農家があるから、この辺まではよく知っている。
坂川につながる松戸排水機場を過ぎる。古びた水門は城塞のような威容で、遠くからも目印になっている。この周辺は水量が多く、子連れにはちょっと不安を感じる場所だ。
24㎞を過ぎても、路傍から土手にかけてシロツメクサが目だつ。私のテリトリーではアカツメクサが優勢で、シロツメクサは少ない。かつて私は玉葉橋を境として上流に行くほどヘラオオバコが多くなるという事実を“発見”したことがあるが、近ごろはヘラオオバコの侵食が激しく、オオバコもシロツメクサも農業用水路を挟んだたんぼ道に見かけるばかりとなった。同じ江戸川左岸でも植生が顕著に異なる一例だ。
子どものころ、首飾りなど編んで遊んだのはシロツメクサだった。アカツメクサの記憶はない。土地柄のせいだったのか。それとも植物の生態系が目に見えるほどの勢いで変化しているのか。近年の隆盛をみると、西洋タンポポやヘラオオバコと同じようにアカツメクサも繁殖力が旺盛なのかしれない。
植生の分かれ目となっているのが土手を区切る橋や道路だろうとは容易に察しがつくが、こういう地域限定のフィールドワークとなると植物学者でもわかるまいなあ──などと思いながらさらに下流へ。
カッコウの声。ツバメの飛翔。土手に群舞するムクドリ。これはいずこも同じだ。
前方に、スカイラウンジのあるビルが見えてくる。その下が松戸の繁華街だ。そう遠くは見えないが、じつは途中で川が大きく蛇行しているため走行距離はまだかなりある。以前に歩いたとき、このマジックに引っかかってしんどい思いをしたのでわかっている。
ネジバナを数本発見。毎年たのしみにしているかわいい花で、ことし初だ。
古ヶ崎あたりの川岸にブルーテントがある。もう築数年だから仮住まいともいえない。春にはノイバラに囲まれて“野薔薇御殿”とたとえたくなるような風雅な立地だが、増水時にはどうするんだろう。度胸があるというか、動じない男なのか、通るたびに住人を想像してしまう。
“川の一里塚”を過ぎると今度は上葛飾橋の下をくぐる。自転車で坂を下るのは気分いいが、昇るのは一苦労でまるでジェットコースターに乗っているようだ。ふだん私が北の上流方向に行くのは、障害レースのようなこのアップ&ダウンを敬遠するからでもある。
「海から20㎞」で土手を下りるとすぐ松戸市街。「祝・琴欧州関」の看板が目につく。当地に部屋があって優勝パレードが行われたらしい。まず銀行に寄り、繁華街を抜けてパスポートの更新のために旅券事務所へ。それから旧水戸街道沿いのたばこ屋へ行ったがお休み。数年前にご主人が亡くなった後、おばあちゃんが頑張っていたが病気か、閉店か。ふるい馴染みだけに歳月の無常を感じる。
来るときには少し霧雨にぬれたが、帰りは薄日が射して蒸し暑く汗ばむ胸に風を入れる。自転車のいいところで、歩いていたらこうはいかない。
主水新田の釣り堀はいつもながらにぎわっていた。平日の日中をこういう愉しみですごす人は幸せなのだろうが、私はこうしてじっと時間を過ごすよりも筋肉を動かすほうが性分に合う。
土手のベンチから釣り風景をながめている男がいた。見ると黒いTシャツの背中に「伝説の男」と白い文字。いかなる伝説の主か知らないが、小鳥や野草ならともかくヒトについての好奇心は希薄なので顔までは見なかった。
釣りをする人。それを見物する人。それをまた見て通り過ぎる自分──人はさまざまだ。
あやしい空模様の、平日の昼下がり。いくつか用件をかねて自転車で松戸に向かう。松戸は9キロほど下流にある繁華な街で、“散歩好き”さんはじめ“近所”“本町”さんの本拠地でもある。
「海から29㎞」の土手にのぼる。無一物で北へ向かういつもとちがって、財布などポケットに“乗り物”で南をめざすとなると一種の高揚感がある。
川面に翼を広げたカワウが浮かんでいる。この辺に棲みついているやつだ。
流山橋と武蔵野線をくぐり抜けて、ふたたび「自転車・歩行者専用」路にのぼる。ここからの河川敷には運動場がつづいているが、雨水が残るグラウンドには人影はない。
25㎞地点。つくばエクスプレスが川を跨いでいる手前、春にはシロバナタンポポが見られる場所でシロツメクサの群生を発見。おそらく流域でも一番の密生地だろう。
つくばエクスプレスの下をくぐる。この新線は地域生活に多大なインパクトを及ぼしたが、そばで見るとモノレールのように小ぶりで静かに走行している。
川に並行して野田街道が通り、合間には住宅が並んでいる。それが途切れたところに小さな神社があり、消却炉の煙突がそびえている。その下に30年来トマトの苗を買い求めている園芸農家があるから、この辺まではよく知っている。
坂川につながる松戸排水機場を過ぎる。古びた水門は城塞のような威容で、遠くからも目印になっている。この周辺は水量が多く、子連れにはちょっと不安を感じる場所だ。
24㎞を過ぎても、路傍から土手にかけてシロツメクサが目だつ。私のテリトリーではアカツメクサが優勢で、シロツメクサは少ない。かつて私は玉葉橋を境として上流に行くほどヘラオオバコが多くなるという事実を“発見”したことがあるが、近ごろはヘラオオバコの侵食が激しく、オオバコもシロツメクサも農業用水路を挟んだたんぼ道に見かけるばかりとなった。同じ江戸川左岸でも植生が顕著に異なる一例だ。
子どものころ、首飾りなど編んで遊んだのはシロツメクサだった。アカツメクサの記憶はない。土地柄のせいだったのか。それとも植物の生態系が目に見えるほどの勢いで変化しているのか。近年の隆盛をみると、西洋タンポポやヘラオオバコと同じようにアカツメクサも繁殖力が旺盛なのかしれない。
植生の分かれ目となっているのが土手を区切る橋や道路だろうとは容易に察しがつくが、こういう地域限定のフィールドワークとなると植物学者でもわかるまいなあ──などと思いながらさらに下流へ。
カッコウの声。ツバメの飛翔。土手に群舞するムクドリ。これはいずこも同じだ。
前方に、スカイラウンジのあるビルが見えてくる。その下が松戸の繁華街だ。そう遠くは見えないが、じつは途中で川が大きく蛇行しているため走行距離はまだかなりある。以前に歩いたとき、このマジックに引っかかってしんどい思いをしたのでわかっている。
ネジバナを数本発見。毎年たのしみにしているかわいい花で、ことし初だ。
古ヶ崎あたりの川岸にブルーテントがある。もう築数年だから仮住まいともいえない。春にはノイバラに囲まれて“野薔薇御殿”とたとえたくなるような風雅な立地だが、増水時にはどうするんだろう。度胸があるというか、動じない男なのか、通るたびに住人を想像してしまう。
“川の一里塚”を過ぎると今度は上葛飾橋の下をくぐる。自転車で坂を下るのは気分いいが、昇るのは一苦労でまるでジェットコースターに乗っているようだ。ふだん私が北の上流方向に行くのは、障害レースのようなこのアップ&ダウンを敬遠するからでもある。
「海から20㎞」で土手を下りるとすぐ松戸市街。「祝・琴欧州関」の看板が目につく。当地に部屋があって優勝パレードが行われたらしい。まず銀行に寄り、繁華街を抜けてパスポートの更新のために旅券事務所へ。それから旧水戸街道沿いのたばこ屋へ行ったがお休み。数年前にご主人が亡くなった後、おばあちゃんが頑張っていたが病気か、閉店か。ふるい馴染みだけに歳月の無常を感じる。
来るときには少し霧雨にぬれたが、帰りは薄日が射して蒸し暑く汗ばむ胸に風を入れる。自転車のいいところで、歩いていたらこうはいかない。
主水新田の釣り堀はいつもながらにぎわっていた。平日の日中をこういう愉しみですごす人は幸せなのだろうが、私はこうしてじっと時間を過ごすよりも筋肉を動かすほうが性分に合う。
土手のベンチから釣り風景をながめている男がいた。見ると黒いTシャツの背中に「伝説の男」と白い文字。いかなる伝説の主か知らないが、小鳥や野草ならともかくヒトについての好奇心は希薄なので顔までは見なかった。
釣りをする人。それを見物する人。それをまた見て通り過ぎる自分──人はさまざまだ。
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by knaito57
| 2008-06-30 11:52
| ◎土手の細道
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Comments(4)